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	<title>歴史 | 実話BUNKAオンライン</title>
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	<description>実話BUNKAタブー編集部による楽しいニュースサイトです</description>
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	<title>歴史 | 実話BUNKAオンライン</title>
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		<title>自称歴史通たちに過大評価されている無能な武将</title>
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		<dc:creator><![CDATA[taboobunka]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 31 Mar 2026 01:59:08 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[歴史]]></category>
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					<description><![CDATA[さも自分が見たかのように、武将の功績を語る歴史マニア。でもそのほとんどが嘘か尾ひれがついた話。歴史好きが無駄に持ち上げる武将を一挙紹介。 高利貸しに手を染めた豊臣秀長 大河ドラマの主役としては描かれないような知名度がそれ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="blank-box">さも自分が見たかのように、武将の功績を語る歴史マニア。でもそのほとんどが嘘か尾ひれがついた話。歴史好きが無駄に持ち上げる武将を一挙紹介。</div>
<h2>高利貸しに手を染めた豊臣秀長</h2>
<p>大河ドラマの主役としては描かれないような知名度がそれほどない戦国武将が、ゲームやコミックスなどの影響からか、“あえて”持ち上げられている雰囲気があるが、彼らの実際の業績を見てみると、持ち上げられるべき点はまったくない。イタい歴史通が功績を過剰に持ち上げて、チヤホヤして、ありがたがっているだけなのが現実だ。</p>
<p>今年の大河ドラマの主人公となっている豊臣秀長も、その１人。大した功績もないし、兄貴がたまたま棚ボタで天下を獲った秀吉だったというだけで、豊臣政権を陰で支えた名バイプレーヤー扱いされて、その実力以上に過大評価されている。</p>
<p>秀長は、温厚な良識人として取り上げられることが多いが、政治家としては吝嗇家（ケチ）で、秀吉同様に冷酷な一面を持っている。領国の大和・紀伊・和泉では、町人に対する金銀や米銭の貸し付けの制度化の「ならかし（奈良貸し）」をおこなっていた。この「ならかし」は、秀長の大名としての権力のもとで行われた強制的な貸し付けで、高利の返済に追われた町人たちは非常に苦しんでいた。 　厳しい取り立てにより、町人が商人を殺害したり、自殺や一家心中に追い込まれる事件も起こっている。秀長は亡くなった時には莫大な財産を遺しているが、こうした蓄財ができたのも、「ならかし」のような民衆から搾取する仕組みを導入し、自らの領国で平気でおこなっていたからだろう。これのどこか温厚な良識人なのか。</p>
<p>ここではそんな秀長のように、歴史通から無駄に過大評価されている戦国武将たちの残念すぎるショボい実像を紹介していく。</p>
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</div>

<p>石田三成の側近として戦国末期に活躍したと言われる島左近清興。元々は筒井家に仕える侍大将だったようだが、隠遁したのちに、優秀な武将を求めていた三成本人から三顧の礼で迎えられて、その配下になったと言われている。</p>
<p>一説には、三成が４万石の知行だった時に、その半分の２万石の俸禄を提案されて、召し抱えられたという話すらあるほどだ。</p>
<p>この時代には「治部少（三成の通称）に過ぎたるものが2つあり　島の左近と佐和山の城」と世間から謳われているようだが、実際には関ヶ原の合戦で主君の三成を勝たせることはできず、本人も東軍の前に無残に討ち死にしている。</p>
<p>頭でっかちで戦下手な三成が貧弱な存在として描かれることが多いため、その対比で筋骨隆々でカッコいい武将として描かれることが多いから、勝手にイメージが醸成されて過大評価されているのが実態なのだ。ただの絵に影響される自称歴史通多すぎ！</p>
<h2>美談にされた大谷吉継の男色</h2>
<p>三成の盟友として敗北を覚悟しながら、関ヶ原の戦いで西軍側で参戦した大谷吉継。病に侵される前は、豊臣秀吉から「100万の兵を指揮させてみたい」と言われるほどの名将だったそうだが眉唾。実際に関ヶ原の戦いでは、小早川秀秋や、自分の与力だった脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保たちの裏切りにあって壊滅。その場で自刃している。統率力ゼロ！</p>
<p>劣勢が予想されていた西軍側に吉継が加わったのは、三成との深い友情が背景にあると言われて美談のように描かれることが多いが、年齢が近い2人は若い頃に衆道の関係だったという説もある。ただの男色話すら、持ち上げないと気が済まないのか。</p>
<p>豊臣秀吉の参謀として、天下獲りを支えたと言われているのが黒田官兵衛孝高だ。</p>
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		<title>秋篠宮さまお誕生日会見での「いじめ」発言は適切なのか？</title>
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		<dc:creator><![CDATA[taboobunka]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 16 Feb 2025 03:47:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[社会]]></category>
		<category><![CDATA[歴史]]></category>
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					<description><![CDATA[2024年11月25日、59歳のお誕生日を迎え会見を行った秋篠宮さま。その中で、皇族に対する数々のバッシングを「いじめ」として表現したことが波紋を呼んでいる。果たしてその発言は適切と言えるのか。皇室事情に精通したジャーナ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="blank-box">2024年11月25日、59歳のお誕生日を迎え会見を行った秋篠宮さま。その中で、皇族に対する数々のバッシングを「いじめ」として表現したことが波紋を呼んでいる。果たしてその発言は適切と言えるのか。皇室事情に精通したジャーナリストである篠原常一郎氏に語ってもらった。</div>
<h2>「いじめ」発言が出た背景とは</h2>
<p>皇室が抱える諸問題が明らかになった年である2024年。その中でも最大の話題として注目されていたのが、悠仁さまの進学問題だ。推薦入試で東大入学の準備が進んでいるという記事が週刊誌などで掲載され、ネット上が批判コメントで溢れかえったことは記憶に新しい。</p>
<p>しかし、結果的には筑波大学への進学が決定したことが昨年12月に発表された。今も続々と動きを見せる皇室事情について、篠原常一郎氏に語ってもらった。</p>
<p>「一般人が苦労を重ねて勉学に励まなければ入学できないような東大に、皇室の特権を濫用する形で入学することに対して反感を抱く人が多かったのでしょう。悠仁さまの東大進学については、批判的なコメントがほとんどでした。成年になったとはいえ、まだ18歳。人の子の親であれば自分の子どもがそんなバッシングを受けたらとても耐えられないだろうとは思いますが、それでも秋篠宮さまの今回の発言は良くなかったと思います」</p>
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          </div>

</div>

<p>篠原氏が言及しているのは、先日、秋篠宮さまが59歳の誕生日を迎えて行われた記者会見での発言内容のことだ。 会見中、記者からの「秋篠宮家へのバッシングとも取れる情報についてはどう受け止めているか」という質問に対し、秋篠宮さまは「当事者的に見るとバッシング情報というよりも、いじめ的情報と感じるのではないかと思います」と回答。続けて、その対応としては「『いいね』じゃないほうの、逆の、あれをとにかくクリックするぐらい、それ以外私はなかなか思い付かないですね」と回答されている。</p>
<p>おそらく悠仁さまの進学問題を受けての発言だと推察できるが、「いじめ」というかなりトーンが強い言葉が秋篠宮さまの口から出たことが波紋を呼んでいる。この発言は「いじめの主体は国民である」とも受け取られかねない。</p>
<p>「皇族が国民から言われ放題だからといって、国民の投稿に対して皇族が低評価ボタンを押すしかできないと表現するのはあまりにも不適切です。皇室取材をする中で内部関係者から聞いた話ですが、秋篠宮さまはまるっきり聞く耳を持たない人だという声が出ています。進言しても聞き入れてもらえず、そして懸念した通りの結果になる。今回の記者会見で出た『いじめ』発言についても、おそらく事前の原稿にはなかったのではないでしょうか」</p>
<h2>悠仁さまの“裏口”入学遍歴</h2>
<p>しかしそもそも、報道では悠仁さまの東大入学はほぼ確定しているかのように思われたが、なぜ東大ではなく筑波大学に進学することになったのか。</p>
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		<title>人気戦国武将極悪人ランキング ワースト10位</title>
		<link>https://bunkaonline.jp/archives/4466</link>
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		<dc:creator><![CDATA[taboobunka]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 11 Mar 2024 04:29:58 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[歴史]]></category>
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					<description><![CDATA[戦国時代の武将たちは、基本、功績が脚色まみれなものである。当然、その本当の素顔は知られていない。冷静に見れば極悪人としか思えない武将たちをずらり紹介する。 1位　織田信長 尾張国（愛知県西部）の地方領主から、鉄砲などの最 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="blank-box">戦国時代の武将たちは、基本、功績が脚色まみれなものである。当然、その本当の素顔は知られていない。冷静に見れば極悪人としか思えない武将たちをずらり紹介する。</div>
<h3>1位　織田信長</h3>
<div>尾張国（愛知県西部）の地方領主から、鉄砲などの最新技術を駆使し、天下統一を目指した信長。第六天魔王を自称しただけあって残酷な話には事欠かない。</div>
<div>比叡山の焼き討ちでは、僧侶や女・子供など3000人を皆殺しにした。長島一向一揆でも、降伏した一揆勢2万人の逃げ道をわざわざ塞ぎ、焼き殺している。天正伊賀の乱では、伊賀の住民9万人のうち3万人を虐殺するなど逆らった者には容赦なし。猟奇的エピソードも数多く、浅井久政・長政父子や朝倉義景を滅ぼした時は、彼らの髑髏で酒器を作り、家来に披露して悦に入り、自分を鉄砲で狙撃した杉谷善住坊を捕まえると、通行人に首を鋸で引かせる刑に処した。</div>
<div>これほど残酷だと家臣の光秀が信長を恐れて謀反したのもやむをえない？ 文句なしの1位である。</div>
<h3>2位　豊臣秀吉</h3>
<div>信長の草履取りという低い身分から出世を重ね、信長亡き後に天下統一を成し遂げた苦労人の秀吉だが、主君の信長同様に残酷な面を持っている。</div>
<div>三木城や鳥取城を攻めた際には徹底した兵糧攻めを行い、両城とも最後は飢えに苦しむ城兵たちが、既に飢え死にした同僚の肉を食らうという悲惨な事態を引き起こしている。これは日本の歴史において数少ない「人肉喰い」の事例だ。天下人となり権力を握るとさらに増長。親しかった千利休に難癖をつけて切腹に追い込んだり、甥の関白・秀次を処刑する際には秀次の幼い遺児や側室・侍女たちまで、総勢29人も連座で処刑している。</div>
<div>また聚楽第に自らをバカにする落書きがあった時も、門番たち全員の鼻と耳を削いだうえで磔にして殺すという残酷さ。2位も納得だ。</div>
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          </div>

</div>
</div>
<h3>3位　松永久秀</h3>
<div>室町時代末期、畿内で一時代を築いた三好長慶の家来として出世を重ねた久秀。長慶の死去後は大和国（奈良）で独立勢力を築き、のちには京に進出してきた信長の配下になる。主君・三好家への謀反、将軍足利義輝の暗殺、東大寺の大仏殿の焼却などの振る舞いから、斎藤道三・宇喜多直家と並ぶ戦国時代の三大梟雄と評されている。信長に対しても度々謀反を起こし、一度は許されるも、結局二度目の謀反時に攻められ自害した。</div>
<div>百姓を年貢の未払いで処罰する時に、蓑を着せて火を放って、苦しむ姿を「蓑虫踊り」と呼び楽しんでいたサディスティックな面アリ。</div>
<div></div>
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		<title>戦は強いけど政治力ゼロの戦国武将ランキングTOP15</title>
		<link>https://bunkaonline.jp/archives/4437</link>
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		<dc:creator><![CDATA[taboobunka]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 27 Feb 2024 09:29:38 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[歴史]]></category>
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					<description><![CDATA[猛将だの勇将だのと称えられる戦国武将たち。でも、ものは言いようで、彼らの大半は武力を使わない駆け引きができず悲惨な最期を迎えたただの無能でしかないんです。ということで戦いだけは強かったけど、時勢を読む能力は皆無だったバカ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="blank-box">猛将だの勇将だのと称えられる戦国武将たち。でも、ものは言いようで、彼らの大半は武力を使わない駆け引きができず悲惨な最期を迎えたただの無能でしかないんです。ということで戦いだけは強かったけど、時勢を読む能力は皆無だったバカ15人衆を紹介!!</div>
<h3>1位　真田幸村</h3>
<p>大坂冬の陣（1624）で出城の「真田丸」を構築し、徳川勢を苦しめたことで有名。翌年の大坂夏の陣（1625）でも徳川本陣近くまで攻め込み家康を追い詰めるなど奮戦するも、討ち死に。その猛将ぶりから、のちの史料で「日の本（ひのもと）一の兵」と評され現代でも高い人気を誇る名武将……扱いだけど、実際は半生の大半が不明な典型的過大評価の人。</p>
<p>分かっているのは関ヶ原の戦い（1600）で父・昌幸とともに西軍につき、その結果高野山に蟄居するハメになったこと。そして父が死に、大坂の陣直前にのこのこ高野山を抜け出し、一時の感情に流されたのか負け戦確実な豊臣方につき討ち死にしたことくらい。兄の信之が徳川方と懇意（側室が家康の重臣の娘）という最強の人脈があり、うまく立ち回れば小大名にでもなれたかもしれないのに、それを全く活かせないどころか、刃を向けるのだからいかに政治力がなかったかが分かる。というかただのアホ。</p>
<h3>2位　柴田勝家</h3>
<p>通称「鬼柴田」。萱津の戦い（1552）で30騎を討ち取るなど武勇に秀でていた人物で、織田信長に仕えてからも数多くの戦に先鋒として参加。姉川の戦いや長篠の戦いでも活躍しついには筆頭家老に登りつめるも、信長の死後に羽柴秀吉との対立が激化。賤ヶ岳の戦い（1583）に敗北し自害した悲運の人物です、世間的には。「筆頭家老だから政治力あったんじゃ」と思ってはダメです。これは佐久間信盛が失脚したおかげの、要は棚ボタ人事。</p>
<p>信長死後の後継者を決める清洲会議（1982）ではリーダーシップを取るどころか、台頭していた秀吉への嫌がらせの如く信長の三男の信孝を擁立し、イタズラに混乱を煽った時点で政治力皆無。交渉力もなく、秀吉が推す三法師が後継と決定される始末。無能です。賤ヶ岳の戦いでも与力の前田利家に戦線離脱されたほか、側室のお市（信長の妹）とともに自害。戦バカらしい突発的行動が目立ちます。</p>
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          </div>

</div>

<h3>3位　直江兼続</h3>
<p>上杉家を主に内政から導いた人物。戦では御館の乱（1578）や新発田重家の乱（1586）での活躍が有名。智将の印象が強いので政治力アリかと思いきや……。有名なのは「直江状」のエピソード。</p>
<p>家康の「上杉に謀反の気配ありと聞いたので申し開きを」の要求に対し「あり得なくないですか」とひろゆきみたいな正論風に喧嘩を売るイキった書状を返答し家康激怒、上杉征伐を決意というのが流れ。征伐は中断になりましたが、それもあり同年の関ヶ原の戦い（1600）で上杉家は西軍につき敗北し大減封、と主家に迷惑をかけた武士の恥みたいなバカです。</p>
<h3>4位　武田勝頼</h3>
<p>武田信玄の息子で、致命的な政治力のなさで武田家を滅亡に追いやった無能二世の代表格。一応戦では初陣で敵将を討ち取ったり、信玄が落とせなかった高天神城を攻略などの功績あり。</p>
<p>が、当主になると家臣団をまとめられず、家中はバラバラ。内政だけでなく外交もダメで北条氏政の妹を側室にした以外は、織田＆徳川に喧嘩をうり長篠の戦い（1575）で大敗北。御館の乱（1578）では金につられ上杉家の後継者問題にしゃしゃり出て、結果織田、徳川、北条を敵に回すなどアホな行動をとり、国力も権威が失墜。味方からも見限られ、信長に滅ぼされました。</p>
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          </div>

</div>

<h3>5位　上杉謙信</h3>
<p>生涯で70近い戦に出陣し、ほとんどに勝利した戦国随一の戦上手。軍神や越後の龍といった通称も、そのセンスはともかく有名。</p>
<p>戦いはともかく周辺との政治は下手だったようで、小田原城の戦い（1561）では城を包囲するも、背後を武田信玄に脅かされ敢えなく撤退。北条氏康と越相同盟（1569）を結ぶも、2年後には氏康が死に、同盟破棄されるなど、戦でぼろ負けしていないからしっぽが出ていないだけで、政治力ないですよ。</p>
<p>また後継者を指名せず死んだため、それが原因で御館の乱（1578）が勃発。つまるところ戦争しか興味のない危ない人。</p>
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			</item>
		<item>
		<title>北条義時は策略と暗殺で権力を手にした世紀の極悪人</title>
		<link>https://bunkaonline.jp/archives/4376</link>
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		<dc:creator><![CDATA[taboobunka]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 22 Feb 2024 06:52:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[歴史]]></category>
		<category><![CDATA[ダテクニヒコ]]></category>
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					<description><![CDATA[大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公となったことで突然、すごい人みたいな扱いとなった北条義時。しかし、その本当の顔はただの極悪人である。彼の半生を追ってみよう。 北条義時はただのモブキャラだった 平清盛によって流刑にされ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="blank-box">大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公となったことで突然、すごい人みたいな扱いとなった北条義時。しかし、その本当の顔はただの極悪人である。彼の半生を追ってみよう。</div>
<h2>北条義時はただのモブキャラだった</h2>
<p>平清盛によって流刑にされた源頼朝は、流れ着いた伊豆で豪族だった北条時政の長女・政子と出逢って結婚。時政の次男だった北条義時は政子の弟ということもあって、なんとなく頼朝の御家人（家来）になって、流れで挙兵にも従って、源義経の大活躍で平家が滅亡し、鎌倉幕府が確立した頃には頼朝の側近になっていた人物なのだが……。</p>
<p>この辺までは大したことをしていない、目立たない存在。そんな奴がなぜ大河の主人公に選ばれたかというと、頼朝死後にめきめきと頭角を現すからである。</p>
<p>1199年に頼朝が急死（死因は不明）。18歳で後を継いだのは源頼家だったが、失政に次ぐ失政に耐えかねた古株の御家人たちが集まって会議でいろいろと決めていこうとなったのが、「十三人の合議制」というもので、この13人がいわゆる『鎌倉殿の13人』である。 将軍である鎌倉殿を助けて、政治を行う「鎌倉幕府の執権政治」がここに始まるわけだが、この13人の中に入っていたのが、義時だ。</p>
<p>名簿には北条時政、江間義時……ん？　江間!?</p>
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          </div>

</div>

<p>頼朝の時代に義時は江間（伊豆の土地）を分け与えられ、江間氏を名乗っていた。合議制に入れるのは、1つの家系で1人のみというルールがあったが、「いやいや、義時は北条氏じゃないから。江間氏だから」と時政がいるのに13人に入れたのはそういうわけだ。</p>
<p>後々、この北条親子が行った悪行の数々を考えると、「なんでこのときに、義時を入れてしまったのだろうか……」と後悔した御家人も多数いたことだろう。</p>
]]></content:encoded>
					
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			</item>
		<item>
		<title>関ヶ原の戦いで過大評価されてる実際はショボい戦国武将17人</title>
		<link>https://bunkaonline.jp/archives/4343</link>
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		<dc:creator><![CDATA[taboobunka]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 21 Feb 2024 05:04:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[歴史]]></category>
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					<description><![CDATA[天下分け目の戦いと言われるためか日本最大の合戦と思われている「関ヶ原の戦い」だが、実際はあっという間に決着がついた凡戦。そんなショボい戦で名を上げた武将も凡将いということで、関ヶ原で過大評価された武将の実態をお教えしよう [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<div class="blank-box">天下分け目の戦いと言われるためか日本最大の合戦と思われている「関ヶ原の戦い」だが、実際はあっという間に決着がついた凡戦。そんなショボい戦で名を上げた武将も凡将いということで、関ヶ原で過大評価された武将の実態をお教えしよう。</div>
<h2>日本史きってのハリボテ合戦</h2>
<p>「天下分け目の戦い」とされる関ヶ原の戦いは、1600年10月21日（慶長5年9月15日）に発生し、15万人が参戦した日本史上最大級の野戦（ということになっている）。豊臣政権内部の権力争いが原因の戦いで、徳川家康率いる東軍と石田三成が中心の西軍（総大将は毛利輝元）が、美濃国不破郡関ヶ原で激突しました。</p>
<p>戦闘当初は地形で勝る西軍が有利になるも、結果として東軍が勝利。その後石田三成ら西軍中心人物は処刑され、一方で家康は豊臣政権内の権力を完全掌握。3年後の1603年には江戸幕府が成立します。</p>
<p>しかし実は、関ヶ原の戦いの戦闘は「天下分け目の戦い」とは名ばかりの地味さ。まず戦闘自体が4～6時間ほどで終わったという時点で、どこが日本史上最大だって話です。戦国時代の代表的な野戦「姉川の戦い」が9時間であることを考えても短め。しかも一戦国大名同士ではなく、全国から10万人以上の兵力が集まることを考えると異例の短さ。まぁ10万人全員が戦ったわけでもなく、傍観者が多数でしたから。</p>
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<p>西軍総大将の毛利輝元が本戦開戦後も大坂城から出陣しなかった時点で、グダグダ。同じく西軍では島津義弘も「三成が嫌い」という理由で傍観。吉川広家に至っては三成から戦闘参加の催促に、「今、弁当を食ってるから」と答えはぐらかしたと話が後世に伝わるほど。</p>
<p>そんな訳もあり戦国時代の戦いにありがちな「〇〇戦法で破った！」的な、眉唾物の話もほぼなし。唯一後世に伝わっているものといえば、小早川秀秋の裏切りでしょう。西軍の小早川軍に家康が鉄砲部隊で攻撃し、裏切りを催促。びびった小早川軍は東軍に寝返り、これに端を発し西軍内部で次々と裏切りが発生。戦闘の趨勢を決した、いわば関ヶ原のハイライトです。</p>
<p>ただ、当時の史料を見てもそのような記述はなし。宣教師の記録に「開戦と同時に徳川についた」とする説もあれば、江戸時代の史料に、徳川方が撃ったものの「誤射」と釈明したとするものがあったりと、よく分からないのが正直なところ。ただ「鉄砲による裏切り」を補完する史料はほぼなく、否定する史料は見つかっているので、そういうことなんでしょう。</p>
<h2>東軍の武将はだいたい過大評価</h2>
<p>もちろん参戦した武将たちの活躍もお察し。</p>
<p>例えば<strong>本多忠勝</strong>。一般的には徳川四天王の1人で「家康に過ぎたるもの」とされた猛将。生涯57回の戦闘に参加し一度も傷を負わなかった逸話もあり、戦国最強の武将として語り継がれています。当然、関ヶ原でも大活躍したはずと思いきや、実際は軍監に任命され豊臣方との交渉を行ったりと裏方仕事がメイン。猛将のイメージとは程遠いですが、当時の忠勝は52歳。武士の平均寿命が42歳くらいなので、それを考えると立派な高齢者でしょう。戦闘終了後、撤退する島津軍を追撃する際に銃撃され落馬しているので、ただのヨボヨボのじいさんだった可能性も十分あります。</p>
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<p>一応、関ヶ原の戦いから約200年後に編纂された『寛政重修諸家譜』には忠勝が武功を挙げたという記述がありますが、所詮は江戸幕府が編纂したヨイショ史料なので。ネトウヨが帝國陸海軍を礼賛する本を作るようなもので、まぁウソでしょう。</p>
<p>ちなみに次男の<strong>本多忠朝</strong>も参戦していますが、刀がまがって鞘に入らなくなるほど奮戦したという、嘘っぽい話くらいしか残っていません。というか、どの本やＷＥＢサイトでも「父譲りの～」と書いてあって、七光感が半端なく気の毒。</p>
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