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「早く死んでよかった」幸福の科学総裁 父・大川隆法の死を語る 宏洋インタビュー

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有名人の霊言などで度々世間を騒がせた宗教法人「幸福の科学」総裁・大川隆法の急逝が報じられた。後継者、遺産相続の行方などに注目が集まっているが、そんな中、大川隆法の長男であり、隆法と訣別、独自の活動を行っている宏洋氏は何を思うのか。ノンフィクション作家・本橋信宏が迫る。(※初出/実話BUNKAタブー2023年5月号)
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幸福の科学は空中分解に向かう

「早く死んでくれてよかったなと……それにつきますね。やっぱりカルト宗教、幸福の科学の総裁ですので、彼が亡くなることによって、幸福の科学はこの先、空中分解に向かっていくスピードはかなり早くなりましたから。そういった意味で、被害者の方々の被害が減るということで、僕は1日でも早く死んでほしいとずっと思ってました」

幸福の科学・大川隆法総裁が死去した3月2日から3日後、長男宏洋氏が実父の死の感想を語った。

肉親の死に対する率直な感想は、あらためて親子の間の複雑な感情を思い知らされる。

世界167カ国以上に会員組織がある世界規模の宗教、幸福の科学。

死亡している著名人の言葉を本人に成り代わり、言葉にした霊言集は刊行されるたびに、信者を中心に購入され毎回ベストセラーになる。

幸福実現党という政党を発足し、みずから総理大臣をめざし政治活動も活発化していた。

「殺される可能性があるな」

2023年2月28日未明、東京都港区の自宅で心肺停止状態で病院に搬送されたが、3月2日午前に死去。享年66。

長男が実父の死亡を知ったのは、公になる前、週刊誌編集部からもたらされた。

長男宏洋氏は、様々な思いが錯綜するなか、遺族としてこんな憂いをもった。

「とりあえず遺産については、ちゃんと話をしなければいけないでしょう。そうとう相続できる部分はあるはずなので、それを教団が開示するのかどうか。隆法の個人財産を。おそらく私の予想だと遺言書を偽造して、1円も個人財産はありませんでしたっていう発表をするんじゃないかなって踏んでるんですけども。そこをどうやってこっちが開示するか。それは相談しながらやらなきゃいけないなというところですね」

宏洋氏には自身をふくめて兄弟が5人いる。

長女・咲也加、次男・真輝、三男・裕太、次女・愛理沙。

「長女の咲也加は粛清されましたね。まだ1週間経ってないと思いますけど。除名というか、左遷ですね。左遷して実権を剥奪されて、今長女は神戸にいるんですけど、神戸の窓際係長みたいなのにさせられてるっていうことですね。結果的には隆法が指示してるんですけど、実際は後妻ですね。後妻の紫央さんとの関係性が悪化したと見て間違いないかなと」

――他のご兄弟とは交流は?

「音信不通ですね。次男と三男については生きてるかどうかすらわからないです。他の2人に連絡をしたけど、(返事が)返ってこないです。(次女)愛理沙はもう脱会済み、教団を辞めている」

大川総裁は離婚後、紫央夫人と再婚。大川隆法総裁の遺産の10分の1が子どもたちに入ることになる。

まだ死亡のニュースが流れる前に、「あ、俺、殺される可能性があるな」と思った。

遺産は分配する人間が少ないほど、1人分の取り分が増えるのだから。

「後妻の紫央さんが、今一番上の役職にあるんですけど、別に決定権がある役職じゃない。そもそも全部の物事、人事とかお金のこととか教団の報酬とか全部隆法が1人で決めていましたから。判断できる人間がもう誰もいないので、本当に宙ぶらりんということですね。紫央さんは実務にはタッチしてないので、理事長が一応実務の取り仕切り役みたいな。組織のナンバー3ですね」

現在、宏洋氏と幸福の科学、大川隆法総裁とは合計6件係争中である。

「私と隆法の2人で話した部分について、それは嘘だとか言ってきてるんですけど。ただ、それは嘘と主張のしようがないと言いますか。2人だけしか知らない話なので、それを嘘だとか言われてもそれはどうすることも、証明のしようがない。嫌がらせですね。とりあえず書籍を出したら訴えるっていう、もう決めてる みたいですね」

息子の目に映る人間・大川隆法

――私はお父様と同い年なんですよ。1956年4月4日。

「ああ、そうなんですね」

――お父様が7月7日。幸福の科学が話題になりだしたころ、同世代って関心持つじゃないですか。

「1986とかそれぐらいですか」

――そうですね。あのころまだリベラルというか、今と違ってましたよね。

「まだ宗教じゃなかったころですね。 宗教法人格を取ってなかった初期ですね。宗教法人格を取ったのが確か91年とかでしたので、最初は宗教じゃなかったんですよね。そもそも。“人生の大学院”って銘打っていましたけども。西荻窪にある第1号支部みたいのが、今もまだ残ってるんですけど、そこに人生の大学院っていう看板がまだ残ってますね。だから全然宗教でもなんでもなかったんですよ最初は。霊言とかをやって、それをオカルティズムみたいなのが好きな人たちが集まってる勉強会みたいな」

幸福の科学創業者は1956年7月7日、徳島県麻植郡川島町で生まれ育つ。

少年時代から優秀で、1975年徳島県立城南高等学校を卒業。1年間浪人生活を過ごした後、1976年、東京大学文科一類に合格、法学部政治学科に進学する。

「隆法が東大法学部に入って、同級生で好きだった子がいたらしくて、その子のことがすごい好きで30~40通も一方的にラブレターを送りつけたり、朝登校してくる時に本郷三丁目の駅の改札で待ち伏せて、おはようって挨拶して、改札から教室までずっと話しかけ続けていたんです。これは本人から聞いたんですけど、本にもなってますね、確か。その好きだった子に振られたんですけども、諦められなくて、その子が司法試験を受けると聞いて、隆法もじゃあ僕も受けようと。そこで同じ道に進んだらずっと一緒にいられるじゃないかって、一念発起して司法試験の勉強をして受けるんですけど、好きだった女性の方だけ合格して隆法は不合格になった。隆法は司法試験の勉強でかかりきりだったから、学校の勉強を全然してなくてそれで留年してしまったんです。就職活動もしなかったので、就職浪人も決定するということで、メンタルやられてしまったみたいですね。純粋というか、まあモテない性格だったので、友だちも1人もいなかった。私は隆法の友だち1人も会ったことがないんですよ。友人を家に招くとか、外で友人とご飯を食べるとかいうことを一度もしていなくて、それで高校大学も学校行って帰ってきたらずっと家で勉強。1人で勉強してるみたいな生活だったみたいです」

“霊的覚醒”がこの時期に始まったとされる。

「留年が決定したときに(霊言を)始めたみたいですね。最初は自動書記といって、指が勝手に動いてメモを書き始めた。鉛筆を持って、最初は“イイシラセ、イイシラセ”という。なんだろうこれということで、手が勝手に動くぞと、それで続けていくと、私は日蓮だとかなんかいうことを書き始めたみたいで、それで叔父と祖父を呼んで今度は声が聞こえてくるみたいな。それをじゃあ喋るという感じのことを始めたのが、霊言の始まりです」

1年留年して商社トーメン(現豊田通商)に入社。

下戸で宴会も苦手、慣れないサラリーマン生活を、大川隆法自身が“雌伏の時代”と呼んでいる。

「サラリーマンは地獄みたいな生活だったってのは、もうずっと繰り返し言ってましたね」

父と訣別し様々な活動を展開

ちなみに宏洋氏は「一度も信仰心をもったことはない」という。

籠の鳥のような日々から自由を求めようとしたのか、宏洋氏は我を通す。

早稲田高等学院に受かったものの、男子高で勉強ばかりするのがイヤで、翌年、青山学院付属高校を受け直し、進学する。

まわりは大企業社長、芸能人といった親が多かったので、父が大川隆法と知られても、騒がれることはなく、青学付属に行ったのは大正解だったという。

法学部を卒業。

長男だから、このままいけば教団でトップにいったのだろうが、父に反発した。

現在は自身の事務所をもち、映画『グレーゾーン』(監督・主演・脚本)を制作、映画監督・脚本家として活動。ユーチューバーでもある。

赤坂にイベントバー『三代目』を営業、みずからもカウンターに立ち、接客している。

「隆法は自分が総理大臣になりたいという強い意思がありました。それは、1986年の一番最初の講演会でも、政治を改革したいってはっきり言っています。東大の法学部政治学科卒業なので、政治はかなり研究をしていて、(政治活動を)やりたい、好きっていうのはありました。あと、祖父が共産党の活動員だったので、家が政治の本とか宗教の本とかいっぱい置いてあって、そういった祖父の影響ってのもあったかなとは思います」

――お父さんはどういう女性がタイプだったのでしょう?

「気が強い女性が好きなんじゃないですか。(離婚した)きょう子さんのことはもう本当にずっと大好きだったみたいなんです。怒鳴り散らす、殴る、ブチギれる、何をするかわからない。バイオレンスというか、凶暴な女性がタイプ。僕の母親がそういう感じだったので、まあ、そうなんではないかなと」

現在、教祖の死によっていくつもの案件が止まっている。

「もう隆法が死んでしまった今、信者さんも幸福実現党の活動を応援する理由ってのがなくなってしまった。だから、早急に店じまいをするんではないかな」

大川隆法総裁は女優・北川景子の大ファンだったという。

「結婚したときに、ショック受けてましたね。DAIGOの霊言とか出して、もうDAIGOがろくでもない男だみたいなこといって、事務所さんからすごいクレーム入れられて、一瞬でそれを自主回収してましたけども」

大川隆法総裁長男が着るパーカーには、「宗教勧誘お断り!!」の文字がくっきりプリントされている。

インタビュー中に、何度かのど飴を頬張った。

「さっきまで街頭演説してたんです。4月の渋谷区議会議員選挙に出ることを表明して、創価学会から脱会した長井秀和さんとコラボしています」

今回の緊急インタビューは、宏洋氏が経営する赤坂のBar三代目でおこなわれた。

「人の出会う場にはなるので、ありがたいと思いますね。面白い人が集まってきたりもするので。そういった意味で、ユーチューバーとしても嬉しいことですし、店が盛り上がってくれば売り上げにもなるので」

―― 一番古い記憶を憶えていますか?

「(練馬区の)武蔵関公園を教団の女性秘書たちが代わる代わる私をつれて散歩してた3歳ぐらいですかね。夕方5時に池の時計からアナウンスみたいのが流れてきて」

昼間、無人のバーで究極の宗教2世は、自身の言葉で語りつづけるのだった。

取材・構成/本橋信宏
撮影/ちびへん
初出/実話BUNKAタブー2023年5月号

PROFILE:
宏洋(ひろし)
俳優、映画監督。1989年2月、宗教法人「幸福の科学」創始者兼総裁・大川隆法の長男として生まれる。青山学院大学法学部卒。2018年9月に教団を離れて、教団の実態をユーチューブなどで発信。20年3月『幸福の科学との訣別 私の父は大川隆法だった』(文藝春秋)を刊行。また映画『グレーゾーン』で監督・主演・脚本を務める。22年11月、今年4月の渋谷区議会議員選挙への出馬検討することを表明した。
Twitter:@hiroshi2ndsub

PROFILE:
本橋信宏(もとはし・のぶひろ)
1956年埼玉県生まれ。ノンフィクション作家。著書『全裸監督 村西とおる伝』がネットフリックスで2回に渡りドラマ化、全世界公開し大ヒットを記録。『出禁の男 テリー伊藤伝』(イースト・プレス)など著書多数。『歌舞伎町アンダーグラウンド』(駒草出版)が4月刊行予定。

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