第1回:声をかけてくる「ファン」が多い蛭子さん
9年前に蛭子さんと福山市にある鞆の津ミュージアムへトークのために行った。
毎度のことながら、日本一声をかけやすい有名人であろう、蛭子さんは新幹線だろうとトイレだろうと、途切れなく「蛭子さん」と声をかけられたり、一緒に写真撮ってくださいという「ファン」の方々が絶えない。
無論、私を見て「根本敬さん?」という方はこういう時にはかつてひとりとしていた試しがない。
とまあ、車中でさえこうだから、福山に着くともう大変である。街を歩きミュージアムに向かう道すがら、子連れ夫妻から親父連中、おばさんのグループや集団と、とにかく老若男女どもが目ざとく見つけるたびに声をかけて来てヒトがたかるのであった。
で、必ず「何で福山に来たんですか、テレビの撮影? 番組は? いつ放映?」といったことを尋いてくる。
その度に同行のスタッフなどが「明日、鞆の浦の鞆の津ミュージアムで午後トークショーがありますから、宜しければ来てください」と一応言ったりする。
するとその度、「ファンです!」の方々は「必ず行きます!」「楽しみにしてます!!」と口々に言ってちょっとした熱狂のうちに去っていく。
常に蚊帳の外に置かれるのはこういう場合慣れてる私だが、もし本当に観客のほとんどが「ファンです!」「いつもテレビ見てます!」の人たちだったらどうしよう、私の出る幕などないではないかとちょっと不安になった。
時間潰しに古いバスを並べた博物館みたいなところへ立ち寄った。そしたら館長らしき方が蛭子さんと分かると「ファンです!」と特別に昭和30年代の古い路線バスにどうぞと蛭子さんとその他を招き入れると「特別ですから」と運転して街を一周してくれた。途中、何カ所で下車させられあらかじめ声をかけていたと思しき館長らしき方とゆかりある「いつもテレビ見てます」の「ファンの方たち」が、蛭子さんを待ち構え記念写真やサインや握手をした。
その歪な熱狂(?)に傍で見てる私はますますトークショーに不安を覚えたのだった。
翌日早めに会場入り。
物販コーナーに主催者側が揃えた蛭子さんの単行本がズラーっと並ぶ(ま、私のも多少)。蛭子さんが「へえ、オレこんなに本ば出しとったんやね」と退屈しのぎに『明るい映画館』と『エビスヨシカズの秘かな愉しみ』といった漫画ではなく文章本を読み出したら、いつになく集中して読み耽ったりしてる。
そこへ宅配業者が最新刊にして蛭子能収著として過去も現在も多分もっとも売れた『ひとりぼっちを笑うな』が届いた。
ミュージアムの方が気を利かせ箱から早速1冊取り出して「蛭子さんどうぞ、間に合いましたね」と差し出す。店頭に並ぶ前どころか著者である蛭子さんも現物を見るの初めて。だというのに2冊の旧作を手に「いやあ、俺の昔書いた本は凄く面白いなあ、自分でもよく書いたなと思うくらい、たけしさんの映画だってオレは容赦なく厳しいこと書いてて、へえ、昔書いたオレの本はこんなに面白かったのかあ」とひとりで感心した後ようやく受け取った『ひとりぼっちを笑うな』は手に取るやページすらめくらず「それに引きかえ、こんな本はオレが書いたんじゃないから(根本注※編プロに丸投げしゴーストライターが書いた)ちぃとも面白くないですよ」と言ってポンと放り投げた。
さて、開場時間が近づき人が集まってくる。
ちょっとドキドキしたが、蓋を開けてみれば昨日の「ファンです!」「テレビ見てます!」「えー! トークショーあるんですか? 行きます行きます」の人たちは全く全然誰ひとりとして来なかった。
満員の会場を埋め尽くしたのは「ガロの時代からファンです」という人ばかりで、もちろん私のファンも蛭子さん根本さんふたりとも好きですといったお客さんに囲まれトークも、終演後のサイン会も楽しくつつがなく終了した。
ま、こういうもんで結局、例えば今の認知症の蛭子さんをどうにか支えようといったここぞという時に本当に集まってくれるのは︱有吉さんのような奇特な方もいるが︱昔からの漫画家蛭子能収やガロ時代からのファンの方々や、例えば丸尾さんだったり平口さんだったりみうらさんだったり杉作さんだったりと旧知のガロの作家たちなのであるかと思うのだ。
PROFILE:
根本敬(ねもと・たかし)
特殊漫画家、エッセイスト。1981年に、『月間漫画ガロ』で漫画家デビュー。代表作に、漫画では『生きる』『怪人無礼講ララバイ』『龜ノ頭のスープ』、活字本では『因果鉄道の旅』『人生解毒波止場』など。