6位 福島正則
賤ヶ岳の戦い(1583)や朝鮮出兵(1592)をはじめ豊臣政権下で活躍した武将。武勇こそ多いですが、その実は政治力ゼロどころか人としてのアウトなただの酒クズの脳筋。
酔った勢いで「好きな褒美をやる」と言い放ち、家宝の槍「日本号」を取られる、家臣に切腹を命じるなど、クズエピソードがたくさん。関ヶ原の戦い(1600)では東軍につきその後は安泰……なわけなく、1619年には「城を無断で修復した」として武家諸法度違反で改易と頭の悪い立ち回りを披露。というか江戸幕府の公式史書『御実紀』に「大名として失格」と書かれてる時点でお察し。
7位 浅井長政
信長の妹・お市の夫として有名。野良田の戦い(1560)で倍の兵力を擁する六角軍を打ち破るなど武勇に優れたほか、美男子としても知られていました。
こいつの政治力の欠陥を示すのは、信長との同盟を裏切ったこと。1567年に同盟を結んだはいいものの、金ヶ崎の戦い(1570)の際に朝倉義景と手を結び信長と敵対。当時の信長は将軍・足利義昭を擁立し天下に勢力拡大中。それが義兄なんだからうまいこと利用してナンバー2の座でも狙えばいいのに、イキって楯突く時点で政治力とは無縁のバカなのは明らか。
一時的に信長を追い詰めたりしますが、ともかくこの裏切りは失敗し、じわじわ勢力を削られ小谷城の戦い(1573)で信長に攻められ自害。死後も頭蓋骨に金箔が施されて見世物になった逸話があったりと悲惨です。
8位 明智光秀
超有名武将。金ヶ崎の戦い(1570)で秀吉とともに殿軍を務めた功績が認められ、正式に信長の家臣になって以降は長篠の戦い(1575)など、多くの戦に参戦。そして本能寺の変(1582)で信長を裏切り謀反に成功するも、それから10日後の山﨑の戦いで秀吉に敗北し死亡。
信長に仕える前は将軍・足利義昭の側近になったりしているので政治力に優れた有能と思われるかもしれませんが、主君を裏切った一番肝心な時に失敗する時点で救いようなし。そもそも謀反から10日で負けるって、周辺になんの根回しもしてなかったからでしょ。大体、そもそも将軍の側近と言っても当時の将軍などなんの実権もないので、いわば形だけの試験でFラン大に入った学生が「大卒」とイキってるようなもの。政治力とかなんの関係もないんで。
9位 滝川一益
織田四天王の1人。伊勢攻め(1567)での武功のほか、鉄砲に精通しており長篠の戦い(1575)では鉄砲隊を総指揮。また武田氏が滅んだ天目山の戦い(1582)でも副将を務めるなどの活躍で有名です。
が、所詮戦争で成り上がった単細胞なので、政治はからっきし。重臣なのに信長の後継を決める清洲会議が、戦から戻る道中だったとはいえ、不参加のまま行われたという事実がそれを物語っています。「こいついなくても後継者問題とか影響なくない?」と思われたんでしょう。その後は秀吉と対立し所領没収と、政治力のない武将のお決まり没落ルートをまっしぐら。小牧・長久手の戦い(1584)で秀吉側として一瞬前線復帰しますが、再び蟄居の身になり生涯を終えました。典型的な力だけ武将の末路といった感じ。
10位 後藤又兵衛
黒田家の先鋒武将として朝鮮出兵(1597)や、関ヶ原の戦い(1600)で槍の名手である大橋掃部を一騎打ちで討ち取るなど大活躍。そして案の定、戦以外の駆け引きは全くできず、主君の黒田長政との関係が悪化し、1606年には黒田家を出奔。長政と関係が悪かった細川忠興と親しくしていたのが出奔の理由という時点で、バカなのは分かるはず。主君と仲の悪いやつと付き合うとか、頭悪すぎ。
その後、浪人になるも士官先が決まらずフラフラしますが、大坂の陣の直前に全国から浪人を集めていた豊臣方に入り込みます。本人的には「俺もワンチャン」という考えがあったのかもしれませんが、この期に及んで豊臣につく時点で時流を読む力ゼロでしょ。結局は大坂夏の陣で(1615)討ち死に。まあ脳筋らしい最後です。