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北条義時は策略と暗殺で権力を手にした世紀の極悪人

歴史
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大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公となったことで突然、すごい人みたいな扱いとなった北条義時。しかし、その本当の顔はただの極悪人である。彼の半生を追ってみよう。
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北条義時はただのモブキャラだった

平清盛によって流刑にされた源頼朝は、流れ着いた伊豆で豪族だった北条時政の長女・政子と出逢って結婚。時政の次男だった北条義時は政子の弟ということもあって、なんとなく頼朝の御家人(家来)になって、流れで挙兵にも従って、源義経の大活躍で平家が滅亡し、鎌倉幕府が確立した頃には頼朝の側近になっていた人物なのだが……。

この辺までは大したことをしていない、目立たない存在。そんな奴がなぜ大河の主人公に選ばれたかというと、頼朝死後にめきめきと頭角を現すからである。

1199年に頼朝が急死(死因は不明)。18歳で後を継いだのは源頼家だったが、失政に次ぐ失政に耐えかねた古株の御家人たちが集まって会議でいろいろと決めていこうとなったのが、「十三人の合議制」というもので、この13人がいわゆる『鎌倉殿の13人』である。 将軍である鎌倉殿を助けて、政治を行う「鎌倉幕府の執権政治」がここに始まるわけだが、この13人の中に入っていたのが、義時だ。

名簿には北条時政、江間義時……ん? 江間!?

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頼朝の時代に義時は江間(伊豆の土地)を分け与えられ、江間氏を名乗っていた。合議制に入れるのは、1つの家系で1人のみというルールがあったが、「いやいや、義時は北条氏じゃないから。江間氏だから」と時政がいるのに13人に入れたのはそういうわけだ。

後々、この北条親子が行った悪行の数々を考えると、「なんでこのときに、義時を入れてしまったのだろうか……」と後悔した御家人も多数いたことだろう。

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