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戦は強いけど政治力ゼロの戦国武将ランキングTOP15

歴史
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11位 佐々成政

信長の親衛隊・黒母衣衆の筆頭。鉄砲への造詣が深く、織田の鉄砲隊の組織を担い犬山城の攻略(1564)で活躍したほか、柴田勝家の元で北陸平定に携わったのも有名。ただ勝家についていたこともあり、信長の死後は秀吉と対立。その後賤ヶ岳の戦い(1583)では柴田側につきますが、運よく所領を安堵されます。ここで表向きでも秀吉に従えばいいのに、「信長の次男・信雄を主君に立てろ」など文句をつけるのは戦バカといった感じ。

また「小牧・長久手の戦い」では徳川方につき、和睦が結ばれた後も家康に「和睦を撤回しろ」と真冬の立山連峰を越え、交渉しに行ったのも有名です。なお結果は失敗。その後九州征伐(1587)の功績で大名になるも、一揆が起きその責任を取る形で切腹。感情優先で、政治力のカケラもなし。

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12位 加藤清正

秀吉の小姓からはじまり、中国地方遠征の冠山城の戦い(1582)で一番槍を挙げたほか、賤ヶ岳の七本槍として活躍、朝鮮出兵では奮戦と勇猛果敢なエピソードには事欠かない猛将。が、簡単にいうとただの戦争狂。

特に朝鮮出兵の慶長の役(1597)では戦を終わらせたい小西行長&石田三成らと対立。ちなみに6位の福島正則も継戦を主張。やっぱ脳筋ってクソ。ともかくこの対立が尾を引き、豊臣政権の瓦解と徳川家康の台頭を許すことに。

その後清正は家康に接近し、というか政治的な駆け引き能力ゼロだったので、縁戚関係を結ぶなどでいいように操られ石田三成を襲撃したり、関ヶ原の戦い(1600)で東軍についたりしています。結果的に、肥後の大名になりますが政治力があったからではなく、運がよかっただけでしょう。

13位 島津義弘

木原崎の戦い(1572)で3000の敵を300人で破る、秀吉の九州停戦命令を無視し戦に明け暮れる、朝鮮出兵では鬼扱いと、要は戦しかない人。

関ヶ原の戦い(1600)には、本国にいる軍勢を動かす権限がないので、とりあえず大阪にいた1000人の小勢で参戦。直前までどちらにつくか悩んでいたらしく、結果は西軍だけど戦闘には不参加。で、撤退の時だけ正面突破と意味不明。天下分け目の戦いでその態度って政治力ゼロというかただのバカ。

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14位 山中幸盛

山中鹿介の通称で知られる武将。尼子家に仕え同家滅亡後も、三度に渡り兵を挙げ再興を目指した忠義の人……といえば聞こえはいいけど、やってることはといえば、戦以外の対外工作は置いておいて「とりあえず挙兵しました」という感じ。

しかも三度とも毛利家に敗れているのもショボい。三回目なんて織田軍傘下で戦っていたのに、負けて捕虜になった上に謀殺されてるし。ちなみに小早川隆景から「武士として信の置ける者ではない」と評されたそう。

15位 島左近

石田三成の臣下として有名で現代でも人気ですが、その半生はよくわかっていない真田幸村と同じ系統の過大評価武将の筆頭。武功は関ヶ原の戦い(1600)で突撃し討ち死にした以外ほぼありません。

政治面ですが、若かりし頃に仕えた筒井家を出奔している時点で、そういった駆け引きができる人物でなかったことは明らか。まぁ空っぽなものほど、いっぱい詰め込めということもあってか、なんの活躍もしてないのにフィクションの世界だけでは大人気です。

 

写真/Wikipedia真田信繁の項目より
初出/『実話BUNKA超タブー』2022年4月号

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