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人気戦国武将極悪人ランキング ワースト10位

歴史
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7位 上杉謙信

70戦不敗の戦上手で「越後(新潟)の虎」として怖れられた上杉謙信。武州松山城の援軍に向かった時には、到着前に松山城が降伏し、行軍が無駄足となったことに立腹して人質の松山城主の子供2人を斬殺している。それだけでは収まらず近隣の騎西城も八つ当たりで攻めて城兵3000人を抹殺した。

他にも神社参拝に向かう途中「静かに進んでください」と注意されて逆ギレ。関係者80人を撫で斬りにするなど、敵に塩を送る義の武将などではなかったようだ。度々関東に攻め入ったのも食糧や奴隷が欲しかっただけなので単なる強盗と変わらない。

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8位 小早川秀秋

秀吉の縁者というだけで周囲からチヤホヤされ、小早川家の養子となり大大名になった秀明。7歳頃から酒を飲み続けたため、12歳の若さでアルコール依存症を発症。宴会中に女に乱暴を加えたことも。酒好きなので500両もの借金を抱え、アル中で正常な判断ができないために、鷹狩りの時に農民を捕らえて刀で体を切り刻んだり、訴えを起こした山伏を調べもせずに両手を切断するなど数々の極悪エピソードが残っている。

徳川方に裏切った関ヶ原の戦いの時点でアル中が相当進み、正常な精神状態ではなかったとさえ言われている。

9位 徳川家康

三河(愛知県東部)の小大名出身ながら、信長や秀吉に仕え、最後には将軍となり江戸幕府を開くに至った家康。

信長や秀吉に比べて極悪イメージはないが、信長を恐れて長男の信康を切腹させたり、武田と内通していた家臣を鋸引きの刑に処すなど冷酷な一面ももちろんある。それだけでなく三河の大名時代には一向一揆と和睦を結んだあとに裏切って武力で弾圧したり、大坂の陣でも一度は豊臣方と和睦を結ぶも、堀を勝手に埋めてしまい城を丸裸にしてから攻め滅ぼすなど、相手を騙すことを得意としている。

60歳過ぎても10代の側室を5人抱えたロリコンでもある。

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10位 斎藤道三

一介の油売りから美濃(岐阜県南部)の国主にまで登りつめ、〝蝮〟とあだ名された下剋上大名の代名詞的存在が斎藤道三だ。かつては一代で美濃の国盗りを成功させたと言われていたが、最近では油売りだった父親と道三の二代で下剋上を実現した説が有力になっている。

長井長弘の家臣となり、美濃の守護の土岐頼芸に取り入ることに成功すると、邪魔になった長井長弘を殺害。その後は守護代の斎藤家も乗っ取り、最後に土岐頼芸を追放し大名に。微罪の者を牛裂きの酷刑にしたり、釜茹での刑執行時に受刑者の妻や親兄弟に火を炊かせるなどかなり残酷な人物。

 

写真/Wikipediaより
初出/『実話BUNKA超タブー』2020年3月号

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