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掟ポルシェが明かす『極悪女王』では描ききれなかった全日本女子プロレスの狂った裏側

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全女のサイドビジネスでもっとも優良物件だったのが、カラオケBOX『しじゅうから』。80年代末から90年代前半にかけて、最盛期は都内を中心に7店舗を展開し、スター選手とのふれあいイベントが行われることも度々あり、順調に利益を生み出していた。

『しじゅうから』の店長は、かつてのスター選手が務めることもあった。高校に進学せず中卒で始めるのが当たり前だった当時の女子プロレスラーに対し、引退後の仕事も保証しようという温情深い雇用形式だったと言える。だが、実際に全女関連の店で働くことができたのはルックスがいい選手に限ってだったとか。平成元年組の長嶋美智子が怪我を理由に一度引退した後、リングスターフィールドで働くことを勧められ住み込み勤務。夏場プール掃除の際、視察に来た松永会長がいたずらで長嶋にホースで水をかけ、Tシャツに下着が透ける様子をキャッキャ言って楽しんでいたと聞いて、松永会長らしい話すぎて脱力するしかなかった。現代なら立派なセクハラ案件!

全女社屋2階のレストランSUN族はファンや関係者で常に混み合っており、メニューがどれも安価だったこともあって近所の一般客もそれなりに食べに来ていて概ね好評であった。90年代に入り、松永兄弟は本格的に飲食店経営に乗り出すのだが、どうせやるならドカンと当てたい山っ気体質が強めに出た結果、ラーメン屋をやることに。事務所の一部屋を厨房に改装し、プロレスの仕事そっちのけでラーメンの出汁を研究する毎日。ここで松永会長のフロンティア精神がヤバい方向に働いてしまい、「オリジナリティ第一、味は二の次」な新商品の開発に燃えすぎて爆誕してしまったのが、全女飲食業史上最凶と言われる「羅漢果ラーメン」。漢方薬の原料でもあり、砂糖の300倍の糖度を持つ羅漢果の実を普通の醤油ラーメンの上に丸ごと一個ドン! とのっけた極悪ラーメンだ。

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松永高司会長曰く、「羅漢果は体に良いから、ラーメンの麺に練り込んだら売れるだろ?」ということなんだが、当時実食した素直な感想として、羅漢果の過剰な甘みが素朴な醤油ラーメンの旨味を完全に打ち消しておりひたすら邪魔でしょうがなく、いまもハッキリ思い出せるくらい激マズ。体に良くても不味いものは売れるわけがなく、気づいたら1年ほどで消滅した。

流石に羅漢果ラーメンは攻めすぎだったなと思ったのか、今度はオーソドックスなメニューを破格の極悪価格で提供するべくできたのが、新宿のカルビ丼店「SUN族」(目黒の全女社屋2Fレストランと同名)。

靖国通り沿いの一等地で月の家賃なんと3‌3‌0万円。吉野家の牛丼でさえ400円だった90年代に300円で牛カルビ丼を売ろうとした松永会長は一族全員から猛反対されたが、会議の席でホワイトボードを持ち出し、「24時間営業で1日1000杯売れるから大丈夫だ」と説明、一同唖然。採算が取れていたカラオケしじゅうからの場所をカルビ丼屋に変えてまで強行出店し本気を見せたものの、地味にしか売れずやはり一年持たずに閉店。全女ファンなので一度食べたが、採算を取るためかカルビが肉1:9脂身のやたらホワイティーな見た目、出てきた瞬間目が点に。これも羅漢果ラーメン同様のベタベタに甘い味付けで、食べてて涙が止まらなかった。全女の飲食業こそ極悪・オブ・極悪だ。

全女の凶悪さ・その3 “バブル崩壊と借金地獄”

1992年に始まった団体対抗戦で、女子プロレスは何度目かのブームの時期を迎える。日本武道館や両国国技館、果ては東京ドームでも興行を打ち、松永兄弟の懐は更に潤ったのかと思いきや、実情は真逆だった。バブル崩壊とともに銀行から多額の融資を受けて購入したワラント債がただの紙切れになり、8億円とも9億円とも言われる負債を負って借金返済のため金策に奔走。大会場でのビッグマッチを連発していくら儲けが出ても、一瞬にして借金のカタに取られ、右から左へと消えていくことに(この時期借金返済のためにあらゆる権利を売却したのだが、『極悪女王』の中で「全日本女子プロレス」という名称と全女のロゴマークの使用ができなかったのは、それらの使用の権利すら売却していたためと思われる)。

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