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国分太一以外も…TOKIOほぼ全員クズ伝説

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 そんな松岡は、いまやTOKIO唯一の〝良心〟と言うべき存在に成り上がった。山口が脱退した際には、
会見で涙ながらに山口を指弾。「(山口の)甘えの根源がTOKIOなら一日も早くなくしたほうが良い」と言い放ち、一人男を上げた。

TOKIOを育てたのは誰か

「松岡を除き、〝全員アウト〟な面々を束ね、一流アイドルグループに育て上げたのは、他でもない旧ジャニーズの元社長である藤島ジュリー景子氏なのです」(同前)

 目下、自伝を出版し、時の人になっているジュリー氏は、TOKIOの生みの親と言うべき存在である。

「当時、KinKi Kidsにかかりきりになっていたジャニー喜多川氏に代わり、
全面的にTOKIOのマネジメントを担当したのが彼女でした。5人のメンバーの中でも、特に長瀬に対する愛情の注ぎようは半端ではなく、既に爆発的人気を誇っていた木村拓哉への対抗馬として、長瀬を売りまくっていた。『数年後には長瀬が木村を抜き、そしてTOKIOがSMAPを超える』という信念は、飯島女史への対抗心だったのかもしれません」(別のジャニーズ関係者)

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 だが、それは前途多難の道を辿った。個々のメンバーの力量差が大きく、早々
にSMAP超えを断念したのだ。その後、ジュリー氏は嵐のマネジメントに専心。グループとしてはSMAPと並ぶほどのレベルにまで嵐を引き上げ、その手腕を見せつけたのだ。

「木村や長瀬という強烈なフロントマンをおかない『和気あいあいの5人』という嵐のムードが、2010年以降の日本の社会風情にマッチした。一方、ジュリー氏という羅針盤を失ったTOKIOは急速に人気を落とし、メンバーはスキャンダルに塗れるようになっていったのです」(同前)

 ジャニー氏の性加害騒動、そして新事務所発足。代表的タレントだった中居の性加害騒動、芸能界引退。嵐の完全解散とTOKIOの解散──。「旧ジャニーズ帝国」の話題は尽きそうにない。

 

文/遠藤正
初出/実話BUNKAタブー2025年9月号

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