368回 日本兵のほうの小野田さん
急にSNS上で「小野田寛郎」という名前を見ることになり、正直驚いた。2021年に彼をモデルにした映画『ONODA 一万夜を越えて』が公開されたときに多少話題になったくらいで、頻繁に話題になるような人物ではない。30代以降の年代の人には彼の名前すら知らない人も多いだろう。
小野田寛郎とはどういう人物なのか。
旧日本陸軍の情報将校で、第二次世界大戦中の1944年に陸軍少尉として派遣されたフィリピンのルバング島で終戦後も約29年間山中のジャングルに潜伏。1974年に帰国し一躍時の人となったが、常に注目を浴び続けるような日本での生活になじめず、次兄が移住していたブラジルに移り住み牧場を経営。日本を守る国民会議代表委員、日本会議代表委員などを務めた。
1976年、東京で保険の代理店を経営していた小貫町枝がブラジルに押し掛けてきたことで結婚、以後町枝が小野田のマネージャー的存在になる。彼女は日本会議の女性組織・日本女性の会の会長も務めていた。
小野田はブラジルに移住後、アントニオ猪木に新日本プロレスのブラジル興行に招かれて交流を持つようになり、その縁からなのか、坂口憲二の名付け親は小野田だという。
また、前田日明が入場テーマソングとしていたキャメルの「Captured」は小野田をテーマにしたコンセプトアルバム『ヌードの物語 – Mr.Oの帰還 –』に収録されていた曲であり、新日本プロレスと妙な縁のある人物だ。
海外で小野田寛郎に注目が集まっていた
今回、小野田の名前に注目が集まったきっかけは意外すぎるところからだった。
イギリスのプレミアリーグに属するプロサッカークラブであるブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC。現在、ブライトンにはサッカー日本代表・三笘薫選手が所属しているのだが、アカデミー(若手選手の育成組織)がXの公式アカウントから三笘とアカデミーの少年選手が小野田の画像が使われた架空のサッカーカードを手にしている写真を投稿。
このことが中国のSNSである微博で拡散され、中国のサッカーファンから多くの批判の声があがったことで、アカデミーの公式アカウントから謝罪したということが日本にも伝わり、小野田に注目が集まったということのようだ。
