子供たちの熱中症死亡事故の温床は、この記事の主張するとおり部活動である。日本スポーツ振興センターのデータによると、1975年から11年の37年間で、学校管理下の熱中症による死亡事故は161件あって、そのうち部活動は139件。そこで最も子供が死の危険に晒されているのは「野球部」だという。
野球経験者はわかると思うが、この集団スポーツの練習では「無理」「もうダメ」なんて甘えた言葉は許されない。白球を追いかける球児たちが目指す「聖地・甲子園」へ行くためには、それくらいの困難を乗り越えるのが最低条件とされているからだ。
そう言うと、もうおわかりだろう。中高運動部で野球をする子供たちが目指す「夏の甲子園」をここまで神格化させたのは、ほかでもない主催者である朝日新聞である。全国紙のネットワークをフル活用して「栄冠は君に輝く」「日本の夏の風物詩」なんて調子でゴリゴリと煽ってきたのだ。
彼らがなぜここまで社運をかけて「甲子園」を盛り上げてきたかというと、新聞ビジネスにおいて販売戦略的にも、ブランド戦略的にも非常に有効だったことが大きい。
全国47都道府県の代表が競い合うのだから、その詳細を報じれば、全国で注目が集まる。「全国紙」である朝日新聞からすれば、これほどおいしいコンテンツはない。しかも、選手はみな高校生たちなのでギャラは発生せず、費用対効果も抜群。おまけに、「爽やかな球児」が炎天下に死力を尽くして戦う大会を主催するというのは、「清く正しい報道機関」というイメージ戦略とも見事に合致する。
つまり、朝日新聞社にとって、「甲子園」という「炎天下でぶっ倒れそうになりながら少年たちが野球する全国大会」というのは、同社が成長していくうえで必要不可欠なキラーコンテンツなのだ。
こういう経緯で最盛時は800万部を売ってきた張本人が、そんな事実などハナからなかったように、「炎天下の運動はよくない」と神妙な顔でご高説を垂れている。これはたとえるのなら、戦争で大儲けしている武器商人が、自分のことを棚にあげて「反戦平和」を訴えるようなものである。
甲子園は朝日が嫌う軍国主義
このような朝日新聞の矛盾は、「甲子園」に常につきまとってきた。なかでも非常に有名なのが、「日の丸・君が代」論争だ。
2004年春、東京都立高校などの卒業式で、国旗掲揚時の起立や、「君が代」を歌うことを拒否した教職員らが都教育委員会に戒告され、5人の嘱託教員が契約更新を取り消された。当然、「朝日新聞」はかみつく。恐ろしい軍国主義の復活だと言わんばかりに社説で痛烈に批判をおこなったのである。
これぞ左…いや、リベラルという立派な主張だが、ほどなくして嫌なところから茶々が入れられる。
ライバル、「読売新聞」が「甲子園では普通のことなのに」(2004年3月31日)と社説でチクリとやったのだ。
ご存知のように、甲子園の開会式では、国旗掲揚と国歌斉唱がおこなわれ、役員や審判だけではなく、丸坊主の子供たちも脱帽し、観客にも起立を呼びかける。
あなたたちが主催している甲子園では、こういうことを当たり前のようにやらせているんだし、子供に範を示す公立高校の教職員ならきちんとやってもらわないとダメなんじゃないの、というツッコミが寄せられたのだ。
今なら「またブーメランかよ」なんてお祭りになりそうだが、当時はまだ「従軍慰安婦」のねつ造問題もなくそこまでアンチもいなかったので、朝日も超強気だった。
「甲子園とは話が違う」(2004年4月2日)という社説をぶちまけ、「日の丸を美しいと思う心は、強制して育てるものではない」「現に起立も斉唱もしない観客はいるが、だからといって退場を求めることなどありえない」と猛反発。さらに、その10日後には「いただいた意見のほぼ6割は朝日社説を支持」と”勝利宣言”までしている。
ただ、どう言い訳をならべようとも、「甲子園」や「高校野球」というものが、「朝日新聞」が憎んでやまぬ「軍国主義」の影響を色濃く受けていることは疑いようがない。この矛盾は、朝日新聞という組織に属する記者のなかにも気づいている人間がいる。