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甲子園主催の朝日新聞が運動部の「熱中症リスク」を指摘する欺瞞

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たとえば、2008年8月27日の愛知県版では、米国から高校野球の名門校の練習を見学しにきた17歳の少年について報道し、わざわざ「軍隊みたいにきびきびしている」というコメントを入れた。

また、2018年5月8日の記事では、「根性野球」の歴史をふりかえり、1960年12月26日の紙面で、スポーツ記者らが座談会で、「四日間、五日間連投して肩がつぶれてもいいという気持ちでやらないと高校野球の魅力はなくなる」と語っていたことや、「学生野球の父」といわれた飛田穂州が、「ベースボールの神髄は?」と質問されて、「それは気魄(きはく)だ」(朝日新聞1964年3月2日)と即答したと紹介している。

この「甲子園信仰」がひきおこす「根性野球」の異常さについては、「甲子園ビジネス」に関わっていない者たちから多くの指摘がなされている。なかでも、特筆すべきは「当事者」である高校生からの声だ。

秀逸な記事が30年前の日本経済新聞(1989年8月12日)にある。《「高校野球」美化するのは大人だけ》として、「どうして野球だけあんなによい待遇を受けるのか」「高校野球を『すがすがしい』とか『清い』といった言葉で形容するのは、信じられない」など、高校生たちの肉声が掲載されているのだ。

朝日新聞が大好きな「弱者の目線」にたったこれらの記事は、夏になると紙面を埋め尽くす「甲子園万歳報道」と比べて、批判精神とジャーナリスティックな視点にあふれていることは言うまでもない。

「強制ではない」と言いながらも無言の圧力で「丸刈り」に揃えられた子供たちが、軍隊のような厳しい練習でおいこまれる「根性野球」を強いられ、その晴れの舞台では、「日の丸」を仰いで、君が代斉唱まで求められる。

自分たちで主催をしていなければ、間違いなく朝日は「軍国主義の復活だ」とかみついている。つまり、実は「甲子園」というのは、「朝日新聞」にとって成長のエンジンとなったキラーコンテンツであるとともに、報道機関としての「ダブルスタンダード」を象徴する存在なのだ。

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