いっぽうで、その反対の意見としては「社会に問題があるから異議を唱えようよ」とか「金持ちばかりが得するのは仕組みがおかしい」という考えがある。
斎藤さんはそっち側のスタンスだから、今回はメゾンマルジェラを着ていたことがある種の「抜け駆け=非・貧乏人行為」と見なされて、叩かれたんだろうね。
そもそも代表作の『人新世の「資本論」』は65万部くらい売れているから、シンパシーを感じる人以外の批判的な立場の人にも届いている。考え方や思想を広めようとすると、最終的には支持者じゃない人にもたくさん届いてしまうことになる。そうするとどうしても、炎上しやすくなったり、イチャモンつけられる機会が必然的に増えていくんだよね。僕が『死ぬこと以外かすり傷』を出した時もそう感じた。
斎藤さんに「この際、もうこっち側(箕輪サイド)に来たら?」と言ったら「まだ頑張ります」と言ってたけれど、左翼の人たちの「等しく貧乏に」的な同調圧力は凄まじいから、今後も大変なんじゃないかな。
ただ「脱資本主義」とか「資本主義の限界」という言葉を耳にする機会は今後も増えていく気はする。なぜなら、資本主義社会でフツーの人が頑張って得られるリターンは減り続けていく一方と思うからだ。
高度経済成長の時は、人口増があったから、努力すれば簡単に生活が変わったし、ビジネスチャンスもたくさんあった。だけど、今は市場自体が縮小していくばかりで難しい。「いっそ、努力するくらいなら、資本主義自体を否定して、社会に文句を言う方が楽でいいや」という考えの人も増えていくはず。
ただそういう考えもいつかは飽きられる。優しく寄り添うような言葉は、一時的に救われても、本質的には救ってくれない。自分の人生を改善してはくれないからだ。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の著者の三宅香帆さんも「半身」で働くべきと言ってるけれど、「半身」で働いても給料は上がらないと思うんだよね。
フワちゃん騒動
フワちゃんがやす子に「おまえは偉くないので、死んで下さーい 予選敗退でーす」とポストして活動休止に追い込まれた際の、やす子の被害者ムーブが凄かった。絶対にフワちゃんが悪者にならざるをえない完璧な戦い方をしていたように見えた。