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セクシー田中さん最終話を改めて観た:ドラァグクイーン・エスムラルダ連載503

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それはともかく、いつも通り気になるのが、「SNS等でやみくもに誰かを攻撃する人が、あまりにも多いこと」。

たしかに、制作側が芦原さんから提示された条件を守らなかったのも、相沢さんのインスタの投稿内容も問題だし、「原作からの大幅な改変が原作者を追い詰めた」ケースは過去にも少なからずあるみたいだし、同じようなことが繰り返されないよう、現在のあり方が見直される必要はあると思うの。ただ、正確な事情も芦原さんが死を選んだ理由もわからないのに、多くの人がただ正義感を暴走させ、やみくもに誰かを「悪者」と決めつけ攻撃するのって、アタシはやはりどうかと思うわ。中には、関連記事を誤読し、原作を大事にしていた役者さんを叩く人までいてびっくり(うんざり)よ。そういう人たちって、結局、「攻撃したかったわけじゃなくて」という芦原さんの言葉を軽んじているようにも感じるのよね(もっとも、多くの人々から批判の声が上がることで、ようやく原因追及や体制の見直しが行われる部分もあるかもしれないけど)。

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アタシも今回の件に関してはいろいろ疑問に思うところはあるわよ。「改変を主導していたのは脚本家なのかプロデューサー陣なのか」「脚本家は、芦原さんが提示した条件についてどこまで知っていたのか」「芦原さんが死を選んだのは、一連の騒動で疲れ果てたせいなのか、『セクシー田中さん』を描き続けるモチベーションを失ったせいなのか、SNSであまりにも騒ぎになりすぎ、責任を感じたせいなのか、自身が執筆した回を批判する声が少なからずあったことを気に病んだのか」とか。でも、いずれも、関係者やご本人以外には、正解はわからないのよね。

ただ、録画していた『セクシー田中さん』のうち、相沢さんが書いた第8話と、芦原さんが書いた第9話および最終回をあらためて観てみたけど、芦原さんが執筆された回、特に大きな違和感はなかったわ。ラストの展開(主人公やその親友が、好意を抱いている男性と結婚しないまま終わる)に不満を持っている人もいるみたいだけど、芦原さんが「あえてセオリーを外して描いた展開を、王道の展開に変更されたことに不満を感じていた」ことを考えると大いに納得がいくし、原作の連載がまだ終わっていない以上、先にドラマで主人公たちの最終的な選択を描いてしまうことに抵抗があったんじゃないかしら(あくまでも想像だけど)。

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