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為末大の言う「友達」について考える:ロマン優光連載292

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自分はものを書いたり、ミュージシャンをやっていたりするので年下の人と知り合うきっかけも比較的多いほうだと思うし、そういった人の中には仲良くしてくれている人もおり、異性の人もいたりはするが、それを友達と言えるかどうかはわからない。むこうがどう考えているかはわからないのだ。親戚の変わったおじさんと気安く話したり、酒を飲んだりしたって、友達かと言われたらそういうわけでもないように、ある程度仲良くなったからといって友達といえるかどうかは別の話だ。向こうが気を使ってくれてるのは絶対にあるし、自分を過信してはいけないのである。

別に年下の異性だけの話ではない。好意を自分が持っていたからといって、相手が同じくらい自分に好意を持ってくれているかなんてわからないものだ。アイドルオタクをやっていると他のおじさんオタクと仲良くなることはよくある。相手に友情めいたものを感じていることもあるけれど、むこうがどう思っているかわからないのに「あの人と友達だ」と自分から主張するのはおこがましい行為なのではないかと思ってしまう。だから「あの人とは仲が良いよ」とは言えるけど、友達だとはなかなか世間に言うことはできない。小心者なのだ。

気が利いたことを言おうとして失敗した為末大

為末さんという人はX(旧Twitter)で気が利いたことを言おうとしすぎて悪気なく不適切な発言をしてしまう傾向があって、よく知らないジャンルに対していい加減なことを言ったり、よく考えずに無神経だったり雑すぎたりする発言を繰り返してきた人である。私が自分のTLで彼のポストを見かける時はだいたいそんな時だ。今回も気を利いたことを言おうとして失敗したのだろう。

為末さんの立場だと公私問わずに老若男女が寄ってくるだろうし、年下の女性が周りにやってくることも普通より多いと思うが、 一般的な50代男性が20才以上年下の女性と知り合う機会があるとすれば一番多いのは仕事の関係だろう。仕事関係の女性とプライベートで仲良くしようとしても、当然ながら仕事上の互いの関係性が強く影響する。たいていの場合は年長男性のほうが立場が強く、そんな関係性の中で悪気も下心もなかったとしても、年下の女性と友達になろうとするなんて、実質強要みたいなものだと思うのだけれど、為末さん的にはそういうことに全く気付いてないのだろうなと思う。新型コロナ禍の中、それでも医療関係・インフラ関係など出勤しなければならない仕事があるし、それが自分たちの生活を支えているということに全く気付かずに「出勤しちゃうんだ」とツイートした時みたいに。スポーツを嫌いな人がいるという重大な事実にも気付いたのだから、他のことにも気付いてほしい。

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人によって友達という言葉の意味は違う。吉田豪が掟ポルシェのことを「知り合い」だと言った時に掟さんはショックを受けたわけだが、吉田豪の考えもわかるような気もする。吉田豪が「吉田豪」になる前から遊んでいた専門学校時代の仲間のような人が友達であって、「吉田豪」として出会った人は仲良くなっても、仲が良い知り合いなのだろう。吉田豪が掟さんに気を使った結果、掟さんは「友達」に格上げになったわけだが、たとえば友達が親友、仲の良い知り合いが友達に呼び名が変わっただけのことで関係性は変わらないので個人的にはどうでもいいのではないかと思うが、掟さん的には重要だったのだろうと思う。

まあ、為末さんの言う友達というのは、そんなに重い意味合いがない言葉なのだろうという気がする。なんかプライベートな空間でフランクにタメ口で会話が出来る関係性くらいから友達と言ってるのかもしれない。「20才以上下の異性と会話すると多様性の勉強になるからやってみよう!」くらいの話なんだと思うし、そんな感じで書いとけば「何かキモい」と感じる人がいても、あそこまでは炎上したりはしなかったのではないか。

抽象的な感じで友達みたいな言葉を使うと、人によって意味や重さが違うから、なかなか大変だなと思った。

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