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為末大の言う「友達」について考える:ロマン優光連載292

連載
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友達は「つくる」ものではなくて、自然と「なる」もの

あのポストは独立したものではなく、次にあげる為末さんのポストに繋がる流れの中で発言されたものである。

日本人が最も苦手な多様性は、性別でも国籍でも宗教でもなく、年齢だと思います。年上や年下と友達になれない。年齢によってどうしても態度を変えてしまう。この思い込みから逃れられなければ、少なくとも年齢の多様性は獲得できません。年齢が違う人の気持ちがわからないままです

他者の価値観の多様性を認めるということは別に友達になるということではないし、別に友達にならなくても年齢による価値観の違いを理解することは可能なのではないか。コミュニケーションをとることや交流をもつことは別に友達にならなくてもできるし。 

件のポストも、20才以上下の女性の価値観に触れることで学べることもあるのはそうだろうけど、友達にならないと交流できないわけでないし、多様性を知るためにという目的で友達をつくろうなんて、「友達になろう」と言われた方にしてみたら迷惑でしかない。

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個人的な話になるが、友達というものは「つくる」ものではなくて、自然と「なる」ものだと思っている。つくろうとしてつくるとか、なろうとしてなるとかいうものではなく、流れの中で自然と関係が成立するものだ。目的があって、つくったりするものは友達ではないのではないだろうか。友達をつくるなんて話、小学校のクラスぐらいのものだ。 

こちらが望んでもないのに、20才も年上の人が友達になろうと迫ってきたら、たまったものではない。本気でうっとおしいと思う。だって、普通は話あわないじゃん。

やっぱり、年を重ねるということは立場を積み重ねることでもあり、その立場は人間関係にどうしても影響してしまうわけで、そのことを無視して、相手が望んでいるかどうかもわからないのに友達という対等な関係を求めるのは圧をかけているようなものだ。

趣味なりなんなり、なんらかの価値観を共有することで親しくなり、その関係性が年齢差を超えて友達に発展することはあるだろうが、片方が友達になろうとしたところでそんなものは無理だろう。 

同性で、年齢も近く、趣味や何らかの価値観も共通していたって友達といえる関係になるとは限らないのに、年上の異性と友達になるなんてなかなかない話だと思う。

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