これが微妙なところで、面白くするため、話をわかりやすくするためにはしかたがないのだけれど、相手は実在の存命の人物である。あれが事実であるように思う人が出てきたら、それはどうなのだろうと思ってしまう(ちなみに前述した配信でジャガーは当時の長与との試合でギブアップした記憶はないと語り、夫の木下博勝はライオネス飛鳥が「事実ではない」と証言としていたことを語った)。近過去・現存の実在人物をフィクションで取り上げるときの難しさを感じてしまう。
あと、全女のシュート試合は押さえ込みルールという特殊なルールでおこなわれ、打撃やわかりやすいプロレス技で決着がついたりしないのだが、非常に地味で盛り上がらないので、面白くするため、プロレスを知らない人にわかりやすくするために再現しなかったのはわかるし、正解だったと思う。
決着の取決めのことを「ブック」と全女内の人間が言う部分に疑問を述べる人もいる。「ブック」というのは業界内の人間が使う言葉ではなくファン側から出てきた言葉であること。当時はそういった意味での「ブック」という言葉自体がなかったことが理由である。
おニャン子クラブの実録をもとにドラマが制作され、メンバーがファンのことを「オタク」とよんでいたらモヤモヤするだろう。当時はオタクという言葉も普及しておらず、またアイドルや運営がファンのことをオタクと呼ぶようになったのは後年のことであるから。それと同じで時代考証の問題なのである。
自分はそういう場面は流して見たのだが、気になる人がいるのはわかる。太宰治が突然「ギミック」と発するような作品を見たら、驚くだろう。それと同じで気になる人がいるのは仕方がないし、それを発信する人の気持ちもわかるのである。
全女では決着の取決めの試合のことを「ピストル」とよんでいて、そもそも「ブック」という言葉がどれだけ知れ渡っているかがわからないし、細部のリアリティを追求したいなら「ピストルでやらせてください」と言わせても差しさわりがなかったのかもしれないが、何とも言えない。まあ、制作側に拘りの強いプオタがいなかっただけの話だろうし、それで作品の価値が下がるわけではない。『仁義なき戦い』だって史実に忠実ではないし、時代考証に変なとこもあるけど名作という評価は揺るがないわけで。