実話BUNKAタブーでの適菜収氏の連載を実話BUNKAオンラインにもアップ。第4回は、「公共」の概念について。かつて銭湯などでは老人がマナーの悪い客を叱っていたが、いまや一番行儀が悪いのは70代、80代になってしまった。
4回:「公共」という概念がなくなった
最近、「日本ってこんな国だったっけ?」と感じることが多い。昨年、自宅の近所にある銭湯がリニューアルされ、ぬるい湯の浴槽が設置された。私はぬるい湯が大好きなので、自宅の風呂にはほとんど入らず、その銭湯に通うようになった。
ただ、マナーの悪い客が多すぎる。浴槽で顔を洗ったり、タオルをつけたり。浴槽内で足がぶつかっても挨拶もしない。子供が走り回ったり泳いでいても、ほったらかしにしている親もいる。
昔の銭湯には、町内に住む常連のこわいおじいさんがいて、マナーが悪い客を叱り飛ばしていたようなイメージがある。公衆浴場ということは、まさにpublicなスペースであり、場を守ろうとする個人が主体的に行動するから「公共」は成立する。
しかし、いまや一番行儀が悪いのが70代、80代である。逆恨みされるのが嫌なので私も基本的に黙殺しているが、浴槽に潜っていた老人と浴槽で髪を洗っていた老人にはさすがに口頭で注意した。
その銭湯にはサウナがあり、サウナファンも多い。入れ墨の客も多い。近くに大学があるためか若者もいる。基本的に彼らのマナーには問題がない(もちろん例外もあるが)。サウナファンはあちこちのサウナに行くので、彼らの世界の共通のマナーを身につけているのだろう。入れ墨の客と若者の場合、他人の視線を常に意識しているからではないか。そもそも他人に見てほしいから入れ墨を彫るのである。また、若者は自意識過剰なので他人からどう見られているかを気にする。
銭湯におけるこうした傾向は、私が通う銭湯だけのものではないような気がする。日本を壊したのは、まさに70代、80代の老人たちではないか。