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大森靖子の騒動:ロマン優光連載193【2021年08月20日記事の再掲載】

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193回 大森靖子の騒動

「大森靖子という人は愛憎の念が過剰な人なんだろうなあ」と、たまたま仕事中につけていた、彼女のゲスト出演の放送見送りについて説明する『荻上チキ・Session』を聴きながら、そんなことを思っていた。

ZOCに関していえば、「meltiaにいた子、元気にやってるかなあ」というモチベーションでMVを見るぐらいで、当然最近のZOCは全然見てなかったのだけれど、『Session』きっかけで新曲のMVを見たりして「15才にこういう露骨に性的な歌詞を歌わせるのは、ポルノ的需要を狙ったわけではないのは明らかだけど、今の時代的にどういうものだろう」などと考えたり。

そういえば、昔「大森さんのファンの人はヨギーを叩くより、大森さんの心配をしたほうがいいのでは」という内容の原稿を書いてから、ブロックされている。何かそんな感じで過ごしていたら、編集氏から「次回のテーマ、宮迫と大森靖子のどっちがいいですか」というメールがきたので書き出したのが、この原稿になる。

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生ハムと焼うどんの解散後に東理紗に対して書かれたと思われるTVブロスの文章や、ZOC脱退後に葵時フィンに対して書かれたblogの文章(削除済み)は、注いでいた愛情が裏返って手酷い拒絶に至ったような、相手の心を深く抉るようなものだった。相手側に非があるとしても、ああいう形の文章を公の場で発信することはさすがにどうなのだろうと感じるような、そういう文章だ。

大人であり、本人がどう思っていようが対等な関係性ではありえない立場にいた大森氏が未熟な若者に対してそのような言葉を発してしまうこと。それが単に相手の心を抉るだけではなく、まだ若い彼女たちに押された刻印として残り続けてしまうこと。

それは非常に酷なことだ。それをやることを普通はためらってしまうだろう。

大森氏がひき起こしてきた数々の炎上に繋がるような出来事は、彼女の過剰な「愛」が原因になってきたように見える。それは自分の音楽に対する愛だったり、大好きな周りの人間に対する愛だったり。愛ゆえにそれを守ろうとして過剰な反応をしたり、それが思うように相手に受け入れられないと感じた時にそれが裏返ってしまい過剰に怒りをぶつけたり。

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端から見ていると、彼女にとって世界は「大森靖子」であるか、そうでないかで成り立っているようにも見える。

音楽も大好きなアイドルも友人もZOCのメンバーも「大森靖子」なのだろう。それを奪おうとするものに対して過敏に反応し戦おうとするし、「大森靖子」だと思っていた人がそうではなかったと感じてしまうと、過剰に攻撃的な対応をしてしまう。「大森靖子」であるため「大森靖子」を守るために彼女は常に世界と戦い続けているかのようであり、それは単に表現の場でということではなく生きること自体をそう捉えているように見える。それゆえ、彼女の世界に存在できるのは「大森靖子」であって、他者は存在できない世界なのではないかのように感じるのだ。今回の炎上の原因になった巫まろに対する怒りにしても、別に若い女の子の容姿に嫉妬したとかいうくだらない話ではなく、愛しているメンバーが「大森靖子」の思想をわかってくれていないと感じたことから起こってしまった出来事なのだと思う。

彼女のそういった強烈なエゴは表現者としてはプラスに働いているのだろう。

ただ、それが作品ではない部分で表れた場合、他者とのかかわりの中で表れてしまった場合、色々と物議をよぶことになる。また、ソロ・アーティストとしてはある意味利点ですらあった部分が、プロデューサーとして、メンバーとしてグループにかかわるときに、マイナス要因として作用してしまっているのではないかとも思う。

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