第3回:「最後の展覧会」終了
「ただいまー」
「どうろにねころがる」
「オレはこっちだと思う」
「へんなおじさん」
「ほっとした」
「ぜったいにあるたいとる」
「苦労がない」
「ドローンがいたよ」
「もういっちょうですか??」
「ガチャパイなんかないんだよ」
「マルタきゅうていじょう 勝つか負けるか」
「こわいチケット」
「きょうだいげんか」
「また次のとびら」
etc…
これらは過日、表参道のakionagasawa galleryで開催された根本敬監修「蛭子能収最後の展覧会」展に展示された認知症進行中の蛭子さんが描いたキャンバス画に自らつけたタイトルである。
絵、そのものは具体的なイメージが浮かぶこともなくキャンバスを絵の具で自由自在にうめていく。そんな結果的に具象化された作品群なのだが、タイトルだけは往年のエビス脳は健在で、仕上げたそばから「だまされた9人」など意味深な言葉がパッとでるのだから驚きでありました。
しかし、認知症は認知症。どこまで自分が個展を開いているとわかってるのだか定かではない。
取材がはいっても頓珍漢な回答をし、それを世間一般にわかりやすい表現に取材側がうまく辻褄合わせをして記事にするのだが、自ずと蛭子さんにかわり監修者の私が取材にこたえることになる。
実際何故わざわざお金が入る訳でもないのに蛭子さんの個展を企画し動いたか、なかなか説明に困る。取材の側は友情とかそういう体の良い言葉で括りたいのは承知する。
しかし、こちらは長い付き合いゆえの行きがかりとか仕方ないという事以上でも以下でもない。
が、これがなかなか通じない。