あらゆる事柄において、過去の優れたものをたくさん知ることで正しい判断力が身につく。逆に、過去に目を背ければマクドナルドのようなものに飛びついてしまう。
12回:マクドナルド化した政治集団
世の中に普遍的価値などあるはずがないのだから、価値は歴史、つまり時間による濾過と、過去の価値判断の集積と連鎖により決まる。「価値判断ができる人」「価値判断ができない人」もまた歴史、時間、過去の価値判断の集積と連鎖により決まる。
これは当たり前の話で、くだらないものを食べて「美味しい」と判断した瞬間、その人は「くだらないものを食べて美味しいと判断する人」になる。
18世紀のフランスの法律家・政治家・料理批評家のジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランは『美味礼讃』で「君が何を食べるか言ってみたまえ。君が何者であるかを言い当てよう」と言った。別に「贅沢なものを食え」とか「安いものを食べるな」という話ではない。価値判断こそが、その人間を表すということだ。
これは書籍、絵画、音楽、映画などあらゆるものに当てはまる。
「君が何を読んでいるのか言ってみたまえ」
「君が何を聴いているのか言ってみたまえ」
「君が何を観ているのか言ってみたまえ」
作家の三島由紀夫は言う。
「料理の味を知るには、よい料理をたくさん食べることが、まづ必要であると言われております。また、お酒の味を知るには最上の酒を飲むこと。絵に対してよい目利きになるためには、最上の絵を見ること。これは、およそ趣味というものの通則であって、感覚はわかってもわからなくても、最上のものによってまづ研ぎ澄まされれば、悪いものに対する判断力を得るようになるものらしい」(『文章読本』)
政治に関しても同様。
歴史を知り、過去から教訓を学び、優れた政治家の価値判断を振り返ることにより、「悪いものに対する判断力」は身につく。逆に、目先の利益だけを考え、過去に目を背ける人間が、マクドナルドみたいな政治、および政治家に飛びつくのである。