蛭子さんはもはや昔のような血が噴き出て首が飛ぶような絵は描かないというか描けなくなっています。ほとんどシュールを超えて2歳、3歳の子供が描いたような抽象的な絵になります。でも、かつてあれだけの漫画を世に問うた75歳が描いた子供みたいな絵は、やはり只ならぬ絵で決して子供の描いた絵ではないのです。毎回新作が仕上がる度に皆で唸るばかり。
とはいえ、一作、一作スンナリといくわけではありません。本人がまず何のために自分が絵を描かなきゃならないのか理解してないし、基本的に「何も描くもんが浮かばない」し、ヤル気もなかなか出ないのです。それを昔話をしたり佐良直美や荒木一郎の歌を聞いたり、褒めたりお菓子を与えたり、時に一緒に踊ったりしながら気持ちが絵に向いたなという瞬間に背中を押すとスイスイと描き出したりするのですから、手が焼けます。
それから、なんだかんだ言って自分の描きたくないものは描かない、描きたい絵しか描かないという頑固な蛭子能収は健在で、絵を描く方へ持っていこうという押しつけ、こういう絵を描いたらという提案は「そうやね」と言うもののほぼ裏切られます。
結局、気づけば「展覧会」を企画して蛭子さんを動かそうと力んでしまいがちな我々が蛭子さんの強力な無意識に「試されている」な、と、ふとした瞬間に気づくのです。
もし、この展覧会が実現されなかったら試された我々の敗北です。
とはいえ、この勝負には負けられません。
「やっぱり描かない」と駄々をこね出したときに切り札としてのある言葉が控えています。この先大ピンチが訪れた時、その言葉を呪文を唱えるように繰り返し耳元で囁くのではなく、大声で…。
その言葉こそ「ぼぼ」或いは「ぼぼじょ」なのであります。
皆さん9月をお楽しみに。
PROFILE:
根本敬(ねもと・たかし)
特殊漫画家、エッセイスト。1981年に、『月間漫画ガロ』で漫画家デビュー。代表作に、漫画では『生きる』『怪人無礼講ララバイ』『龜ノ頭のスープ』、活字本では『因果鉄道の旅』『人生解毒波止場』など。