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箕輪厚介のほうが昔の名物編集者よりはるかに天才編集者だ

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天才編集者に嫉妬する負け組編集者たち

さて、箕輪さんを形容するお馴染みのキャッチフレーズといえば、前述した「天才編集者」です。ベストセラーを連発し、出版の枠にまったく収まらない活躍をしている箕輪さんに相応しいフレーズと言えます。そして箕輪さんは常に楽しそうに生きているので、受ける嫉妬も半端ありません。箕輪さんに嫉妬しているのは、主に出版業界に寄生して、出版以外では働く術のない、かといって特に仕事ができるわけでもなく、中小出版社や編集プロダクションの安月給で働いている負け組編集者たち(大手出版社の高給取りの編集者ではない)。あと毎日がつまらない弱者男性。そんな箕輪さんに嫉妬する可哀想な人たちが勢いづいた出来事といえば、数年前の箕輪さんの女性スキャンダルです。

負け組編集者たちや弱者男性たちは、女性スキャンダルで箕輪さんを好き勝手に叩いていい土壌ができあがったのをいいことに、「天才編集者」というフレーズをここぞとばかりに揶揄。そして、「箕輪なんて別に天才編集者ではない」などと、言い始めました。

じゃあこういう人たちが天才編集者として誰を挙げるかというと、出てくるのは決まって昔の名物編集者的な人たち。昭和や平成中期くらいに独創的な本を作ってヒットを飛ばした編集者の名前を挙げて、「本当の天才編集者はこの人たち」みたいな感じでドヤっていましたが、はっきり言ってそんな化石みたいな人たち、真の天才である箕輪さんと全然比べ物にならなくないですか。

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平成中期までは無能編集者でも売れる本を作れた

昭和や平成の中期くらいまでは今より本や雑誌がはるかに売れていた時代です。本を売ることが今よりもはるかに簡単な時代です。

例えば、エロ本であれば、カラーページにテキトーに裸を載せておけば、モノクロページは読者層とか一切考えずエロとは関係ない編集者の自己満足のサブカルページを作ることができて、そんな需要を無視した作り方をしていても売れていたわけです。後年、そういうサブカル要素を評価して「昔のエロ本は良かった、今のエロ本はエロしかないから面白くない」とか言って懐かしむ風潮が出てきましたが、好き勝手に作ったら一部の人が面白がるのは当たり前の話。でも一部の人にとって面白かったからといって、その作り手の編集者に才能があるわけでは微塵もありません。一部の人を面白いと思わせるなんて簡単な話なんですよ。でも本が売れていた時代ならともかく、好き勝手に作られていたエロ本は段々売れなくなっていったので、サブカル要素もなくなっていきます。エロ本末期の時代は、昔より遥かにエロ本を売るのが難しくなっているので、そんなお遊びのような誌面は作れないわけです。

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