PR
PR

三上悠亜の始球式を批判する差別意識に固まった人々

社会
社会
PR
PR

例えば、露出が物凄く多い半裸みたいな人が公共の場でのイベントに出演するというのであれば、問題なのもわかりますが、今回の三上さんは、別段露出が多いわけでもないチアの衣装。どこに問題があるのか理解に苦しみます。

公の場に登場した(元)AV女優を見た子供が、「この綺麗な人は誰だろう?」と検索したことで、AVというもの、AV女優という存在を知ることを危惧している人もいるかもしれません。子供への悪影響を心配しているということなのでしょう。

しかし、世界にはエロいもので満ち溢れており、親が望む望まないに限らず段々とそういう世界に子供が触れていくのは止められません。しかもエロというのはそれ自体が悪いことではありません。殺人だとか強盗だとかはそれ自体が悪ですが、我々はエロい行為を通じて、愛を育み、子供を作って、幸せを感じます。

PR

ただ、その行為を全面的に社会の表に出すことは色々と問題もあるので、地上波のテレビ番組にAVは流れませんし、ヌードの広告が町中にあるわけでもありません。では、子供からそういった情報を完全にシャットアウトすべきかといったら、それはそれで不健全でしょう。18歳になるまでエロから完全に隔絶されて育った子供が、その後の人生で性愛に恵まれた人生を送れるとは思いづらいです。エロからシャットアウトされて育った結果、性愛をどのように育んでいいのか分からない大人になったり、逆に反動から親の期待とは裏腹に性に対して奔放すぎる大人になってしまった人の話もよく聞きます。学校での性教育だけでなく、親の知らないところで、徐々にそういった知識を蓄えていくことはいたって健全なことであると言えます。

ポリタスTVでの呂布カルマ氏への批判はグラドル蔑視ではないのか?
NewJeansおじさんは楽曲派どころかただのロ●コン !?

リベラル界隈こそ三上悠亜への批判に怒るべきだが

大体、過去の経歴をもって、その後の仕事を制限するという発想には恐ろしさを感じます。人権に関して、あまりにも意識が低いと言わざるをえません。三上さんの始球式起用への批判の中で「社会の底が抜けていく」という内容がありましたが、過去の経歴をもって仕事を制限するという発想のほうが底が抜けているように感じます。完全に差別でしょう。

少し前に、テレビ出演した重信メイさんについて「重信房子元受刑者の娘」と報道があったことに関して、リベラル界隈が「元受刑者という呼称はおかしい。それなら一度刑務所に行ったら『堀江貴文元受刑者』とか『佐藤優元受刑者』と呼ばなければいけないことになる」という批判が巻き起こりました。一度刑務所に行った方でも、犯した罪と密接に関係がある仕事を除けば、どんな仕事に就いてもいいと思いますが、まして三上さんは当然ながら何か罪を犯したわけでもありません。三上さんが始球式(それも外国の)に出ることに一体なんの問題があるのでしょうか。

PR

もし「元AV女優が公共の場で仕事をするのはまかりならん」という主張が一般的になろうものなら、過去に犯罪を犯した人なんてますます何もやれないことになります。前述した重信房子さんであれば「元受刑者」と呼ばれるどころか、メディアには一切出られないでしょう。そんな世の中を望んでいないと思われるリベラル界隈の方々は、今回の三上さんへの批判に対してもっと異議を唱えたほうがいいのではないでしょうか。

もっとも、エロ規制の主張が保守的な思想の人から出てくることが一般的だった昔と違い、フェミニストを自称する人たちによってエロ規制が叫ばれることが多い昨今。三上さんへの批判も自称フェミニストであり、リベラル界隈の人から多く出ているのかもしれません。リベラルな自称フェミニストの方々は、三上さんへの批判がゆくゆくは自分たちの望む世界をも潰すことに繋がりかねない、と認識してほしいところです。

 

文/田崎寿司郎
写真/Instagram、三上悠亜公式アカウントより

タイトルとURLをコピーしました