「あんなブスなババアとは1回だってそんな気を起こしたことはない! 2人だけになっても絶対に、絶対にあの女だけは手を出さない自信はある! 世界が2人だけになってもあれには近づきたくない!」
新井の告白に対し、議会は紛糾。町長は空転した議会で次のように語った。
「あなたとどのような場面、どのような状況になろうとも間違いを起こすことは絶対にない! 1億3000万分の1にもない!」
前出の地元紙記者が言葉を続ける。
「新井ら2人が町長の不信任決議案を提出しましたが、11人中、賛成2人ですぐさま否決されました。怒り心頭の町長側は、逆ネジをカマしに動いたのです。新井の一連の発言が議会の品位を傷つけ、議会運営を混乱させたとして、10人中賛成9人で新井町議の除名処分を可決し、新井は失職したのです。さらに怒りの収まらない町長は、新井と電子書籍を出版したライターに対して名誉毀損の告訴状を群馬県警長野原署に提出しました」
キャッチコピーは「女の執念」
「桜を見る会」が世間を騒がせている中、突如、全国区のニュースに躍り出た新井氏は、どのような経歴の持ち主なのか。
新井が生まれ育ったのは、群馬県桐生市。家族は、2年前に他界した会社員の父親とパートタイマーの母親。妹が1人いるという。地元の知人がいう。
「彼女はずっと男っ気がなくて、自分の容姿に自信がなく内向的な性格だったんですよ。特に、ずっとアトピー性皮膚炎に苦しみ、いろいろな民間療法にすがり、スピリチュアルなものに傾斜していた時期もある。高校時代は障害者のキャンプを手伝うなど、ボランティアに熱心だったようです」
子供の頃の夢は漫画家だったという。県内の短大を卒業した新井は、一般企業に会社員として勤務。湯治のため草津を訪ねたのがきっかけで移住するようになったという。
「温泉同好会で知り合った年上の男性と結婚したのは、30代後半の頃。初出馬は、2010年の補欠選挙。『園田祥子』の名前で立候補しましたが、あえなく落選。その直後、突如『出直します』と周囲に話し、丸坊主にするなど、突飛な行動で周囲を困惑させた」(同前)
選挙後に離婚し、昼は土産物店、夜はホテルの管理人室に住み込みで働いていたという。
翌年、ふたたび町議会議員選挙に出馬し、初当選を果たした。同町初の女性町議として話題になったが、15年には落選。その後、議員に返り咲き、今春2期目に入った。
「12人いる町議でトップ当選は500票弱。新井は約100票を集め、最下位で当選した。浮動票が乏しく、熾烈な選挙戦が繰り広げられるのは田舎の常で、新井はわずか100人の支援者を集めるために日々なりふり構わず町民に顔を売ってきた。当選後は『しょこたん通信』なる個人新聞を発行。『しょこたんは考えます』と記し、町政批判を繰り返していました」(草津町関係者)