『エマニエル夫人』は映画として下らない。ポルノのとしても物足りない。その1時間45分の映画を更に12分に短縮したもの(音声はカセットテープ)に約1万2000円出したわけだが、当時の1万2000円は今の10万円に値するかと思う。
能収が呆れたのは短縮エマニエル8ミリフィルムそのものに対する「あんなもの」ではなく、10万円に値するものをポルノ映画に使ったことにあった。
ポルノ映画に対して能収は通常の男子と思いを同じくしない。
兄貴は漁師である。1年の殆どを海で過ごす。たまに陸に帰ったときくらい、自室でポルノ映画を見てくつろぎながら千摺かきたいであろう。
しかし、能収にはポルノをオカズに千摺をかくということが全く分からない。
何故なら能収にとって千摺と性的な妄念の類とは別物だからであった。
蛭子さんは千摺をかくときは頭の中を空っぽにして、シコシコとしごくその指先によりもたらされる快感にのみ100パーセント身をゆだねる。
性的な妄想は邪魔。エロ本すら必要ないし買ったこともない。
ましてやフィルム、ビデオ、動画など問題外である。