で、目次だけは入稿しなきゃならないからタイトルだけでも、って編集部に言われてそれを私が横で聞いて「じゃあタイトル俺がつけとこうか?」と蛭子さんに言ったら「ああ、もう何でもいいから根本さんつけといて」ってことで私がタイトル考えることになりまして。で、10頁くらいの漫画を一晩で蛭子さん描かなきゃならないんですが、こちらも意地悪して「仮装行列の集団VSイナゴの大群」というような描くのが大変そうなタイトルをつけてやりました。でも、それを聞いても何とも蛭子の御大は思わず、ぐしゃぐしゃなヘタウマですらない、よく言えば当時で言うとこのニューペインティングみたいな、でもとにかくひたすら描き殴った絵で頁を埋めました。
蛭子さんって、漫画の内容で悩んだりで締め切り数日延ばすってなかったんですよね。普通漫画家はだいたい締め切り延ばすんですけど。それなりにまあ良い作品にしたいと思うんです、まあまあそうなるもんです。でも、蛭子さんは違う。
内容はどうでもいいから早く終わらせて麻雀に行くのを優先してましたから、締め切りは編集側の言い値遵守。編集側はまあ有難いことではありますけど、でも、そのかわり手は抜くと。
話ちょっとそれますが、私が漫画より絵に比重を置き個展なんかやるようになっていった頃。そのときどんな絵だったか、とにかく私を褒めない蛭子さんから珍しく凄く感心されて褒められたことがあったんですがその褒め方が「これ、根本さん死んだら高く売れるよ。だから根本さん死んだら、だから根本さん死んだら、だから根本さん死んだら」って「死んだら」を何度も繰り返して言われ、面と向かって死ぬことを勧められました。