発言のもとになった展示について詳しく聞かれると、「展示の文章は覚えてないが、そういう印象を持った昔のことでハッキリしていない」としながらも、事実なので撤回しないと表明(西田氏のHPの過去の文章でひめゆりの塔を実際に訪れた記述は確認できる)。しかし、ひめゆりの塔にも、ひめゆり平和祈念資料館に西田氏が主張するような展示は存在しないし、過去にもなかったという。
そのことについて指摘されると、ひめゆり平和祈念資料館ではなく、近隣の洞窟で観たという気がするとしたが、近隣にそのような洞窟はない。9日の会見では問題の展示はひめゆり平和祈念資料館ではなく、沖縄県平和祈念資料館で観た可能性はあるとしている。
まあ、すごく適当にものを言っていたんだなというのは伝わってくる。
旧日本軍もアメリカ軍も、住民にとっては加害側であるわけで、西田氏が主張するレベルで一方的にアメリカ軍を賛美する展示もないだろう。そういうのが一般的な住民の認識だとするなら米軍基地反対運動が成立するわけがないし、変な話だと思う。西田氏は反米右派であるので、旧日本軍やアメリカ軍が自分の思ったように説明されていない展示を見ることで、不快さから認知にバイアスがかかってしまった可能性はあるのかなとも思う。
『憲法シンポジウム』では原爆死没者慰霊碑にある「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文に対しても、西田氏は誰が誰に言っているのか違和感があると発言し、「戦争一般についての表記は、明らかに東京裁判史観によって表記されている。それは、そうでないと許されない。事実として。マスコミもそういうスタンスでないと報道できないはずですよ。そういう規制がかかってきたから」とも発言。普通に読めば碑文の主語は全ての人であり、広島市のHPの言葉を借りれば「すべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉」でしかないのはわかりそうなものだが、これが自虐史観によるものだと読めるとしたら、そうとう認知にバイアスがかかっているのでは。米軍を責めてないのがイヤなのだと思うが。旧日本軍を賛美していなかったり、アメリカが批難されていないと全部自逆史観の反映に見えるのでは。
これはあくまで自分の感想であると西田氏は言うが、そもそもの認識にバイアスがかかり過ぎていれば、問題だと思う。
この『憲法シンポジウム』は沖縄県での憲法改正の機運を高めるために、宗教右派に近いようなところが主催して開催されたわけだが、西田氏を呼んだことで、とんだ藪蛇になってしまったのではないか。沖縄の歴史を踏まえていれば、あのような発言が出るわけもない。