小泉氏は発言がミーム化されることで一部から軽視されているが、それによって政治家としての実態がわかりにくくなっている。一方でキャラ化が進むことで本来持っていたイメージからくる人気に加えて、別の親しみやすさを獲得していってしまい、本当に考えなければならないこととは別のところに話がなってしまう傾向がある。キャラ化することによって、必要以上に存在を軽く見たり、言動の問題が漂白されてしまったりする弊害が生まれているのだ。ある程度、知名度のある政治家はなんだかんだで政策や思想的なことが認知(といっても、結局イメージだけで実際とは違うことも多い)され語られているが、小泉氏の場合、レジ袋有料化でめんどくさくなったぐらいのレベルの話しか「政治家」としては語られないし、彼が何をどう考え、なにを目指しているのかを気にしている人があまりいないように思え、不安になる。
小泉氏が自覚的に自分のキャラを使っているのか、本当に「天然」なのかはわからないが、実際のところ、彼のよくわからない発言は本当に考えるべき問題から目をそらさせるように機能している。
小泉氏は農林部会長時代にJA全農の株式会社化などをかかげ農協改革を目指しJAと対立、成果があがらないまま退任することになった。純一郎氏の郵政改革が下敷きになっているかのような、農協側を悪者にするようなやり方はしこりを残したことと思われる。その小泉氏を農林部会長の経験もあるからと水産大臣に登用しても、農協側とスムーズに連携をとっていけるかどうかは疑わしく、小泉氏の登用で世論を懐柔したり、話題をそらしたりするための登用ではないかと疑しくなる。
小泉氏自身がどこまで自覚的かはわからないが、周囲は意図的にそれを利用しようとしている節があり、事態の火消しさえできれば、本当に対処しなければならない問題の解決に関して成果があがらなくても、その部分で何かの際には登用され続けるのではないか。政治家としてのそういうあり方は一般庶民にとっては何の益もないものだ。一方で小泉氏の動きを良くも悪くも軽視し過ぎるのもどうかと思う。彼のやることで自分にとって、いいことが起こるのか、わかるのかはわからないし、人によって評価もちがうだろうが、なんであれ政治家としてあの位置にいる人間をなめてしまうのはよろしくない。
小泉氏に限らず、政治家は最もその仕事で語られ評価をされなければならない職業であり、面白いだけで語ってはいけないものだと思う。そろそろ、小泉氏を面白がるのではなく、何を考え、何をやろうとしているかで考えなくてはいけないのではないだろうか。