PR
PR

『ばけばけ』には出てこなそうな小泉八雲の話:ロマン優光連載362

連載
連載
PR
PR

どちらも「六部殺し」という名で知られる日本各地に伝わる民話・怪談が素材になっている。六部(巡礼僧)をはじめとする旅人を殺して金を奪って成功したものが、被害者の生まれかわりである自分の子にその罪を指摘されるというのが基本形である。現代の都市伝説や実話怪談のなかにも踏襲されているものがある。

「持田の百姓」は登場人物の犯した罪が貧困による間引きであり、子殺しに焦点が当たったローカライズがなされている。

「第三夜」は夢というくくりの中で、説明パートが全て削られ、ただ断罪の瞬間だけが描かれることで、読むものを非常に不安にさせる幻想小説である。「原罪」や「集合無意識」と言った言葉を想起させる小説だ。

前者は悲哀を、後者は罪の恐怖を強く感じさせる。伝承をあまりいじらずに収録したものと、構成に作者の意思が強く反映された小説という違いもある。ベースは同じだが読後感は全く違っており、読み比べると面白いと思う。

PR

八雲在籍時の東京帝国大学

漱石に限らず、小泉八雲という人は多種多様な日本の著名人と縁があった人である。明治という時代は才能が一か所に集まりやすい時代だったということかもしれない。

熊本第五高等中学校時代の同僚には幕末の京都で薩摩藩と組んで八月十八日の政変を起こした会津藩の秋月悌次郎が同僚だった。戊辰戦争で会津降伏の使者となり、その後、戦争責任を問われて新政府にとらわれていた秋月は釈放後、教育者の道を歩み、八雲と出会うこととなった。八雲は彼の人柄を絶賛しており、よほど感銘を受けたのだろう。

その時、熊本第五高等中学校の校長をつとめていたのが講道館柔道の創始者・嘉納治五郎である。この時期、講道館に治五郎先生はあまりいなかったのだ。

ちなみに会津降伏の際に秋月が以前から交流のあった長州藩士・奥平謙輔(後に前原一誠とともに萩の乱を起こし処刑されている)に郷土の未来を託して預けた会津の少年の中にいたのが山川健次郎である。戊辰・西南の名将である山川浩の弟であり、津田梅子と共に女性として日本初のアメリカ留学をはたした大山捨松侯爵夫人(配偶者は西郷隆盛のいとこにあたる大山巌)の兄にあたる健次郎だが、八雲が東京帝国大学を退職する時期に総長を務めている。

タイトルとURLをコピーしました