八雲在籍時の東京帝国大学にいた学生を調べだすとのちの著名人がいくらでもでてきそうでキリがないのだが、その中で一人あげるとするなら彼になる。
浅野和三郎その人である。
誰だかわからない人も多いと思うが、あの大本教躍進の立役者の一人であると言ってもわからない人も、大本教がわからない人も多いだろう。
大本教とはその教義が皇室に対して不遜である疑いがあるとして戦前最大の宗教弾圧事件が起こった、多くの新宗教に影響を与えた神道系宗教団体である。あの合気道創始者・植芝盛平も出口王仁三郎に師事していた。
そこで幹部を務めていたのが浅野だ。
文学者として活躍していた浅野だが、息子が高熱を出し、いくら医師にかかっても回復しなかったのが、行者の祈祷で回復するのを経験。それ以前は全然そういうものを全然信じていなかった浅野だが、スピリチュアル・オカルトに傾倒するようになったという。
ただ、そうはいっても、結局は本人申告なので本当のところはわからないのであるが。
大本教の対外的な理論武装の一端を担い、大本教弾圧の流れの中で逮捕された後に教祖・出口王仁三郎と対立して離脱。心霊科学研究会を立ち上げ、日本のスピリチュアリズム運動に大きな影響を与えた人物である。浅野も八雲の授業が大好き。
まあ、ワシントン・アーヴィングの『スケッチ・ブック』(「リップ・ヴァン・ウィンクル」が収録)とかチャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』のような作品の翻訳をしているので、そういう幻想的なテイストや幽霊が出てくる話自体はもとから好きだったんだろうなという気もする。そこは八雲の影響かもしれない。浅野も八雲の授業が大好きだったようだし。
ちなみに浅野和三郎と共に大本教を離脱して心霊科学研究会に参加した幹部が谷口雅春であり、後に生長の家を創設。日本の宗教右派の源流の一つになった。なんというか、急にあまり楽しくない感じで身近な話に…。
それはともかく、八雲を題材とした伝奇ものといえば、大塚英志の『八雲百怪』があるわけだが、まだまだ違う方向で掘っていけばネタが色々と転がっていると思うので、誰か挑戦してほしいものである。
