PR
PR

ピーコ・楳図かずお:サムソン高橋「ハッテン場から愛をこめて」連載11

連載
連載社会
PR
PR
PR
PR

第11回 ピーコ・楳図かずお

ピーコがお亡くなりになってしまった。

考えてみれば、60年代後半生まれの私が初めて知った自分以外の同性愛者は、70年代後半からメディアに出始めたおすぎとピーコだったのかもしれない。美輪明宏は不遇の時期だったし、カルーセル麻紀はまたちょっと違うジャンルだった。

今のいわゆるオネエタレントのひな型は彼らが作ったものだろう。

どう見ても男、しかし言葉遣いや仕草は過剰に女っぽく、そして頭と口の回転が速くて、上品な下品さを身にまとい、毒か薬になる言葉しか喋らない。これはおそらく当時からゲイバーという隠された空間の中では、わりとありきたりな私たちの姿だった。あるいは小学生の自分としては、嘲笑され指摘されて矯正しなければいけないと思わされる自分の性(さが)だった。

だからというわけでもないだろうが、彼らの存在を歓迎しないゲイも多かった。曰く、「あんなのと一緒にされたくない」。

PR

これには十分な理由があって、40年以上前の日本社会では、同性愛者はひたすら普通であることと目立たないことが生命線だった。フケ専だった私は良く知ってるのだが、今の年齢だと70歳を過ぎている以上の年齢のゲイは、ほとんどが偽装結婚をしていた。うまく生きていくためには、目立ってはいけない。普通じゃないからこそ普通を装わなくてはならなかった。だからこそ当時のゲイは自分を偽らず出している彼らに忸怩たる思いを抱いていたのだろう。

以前ゲイ雑誌でピーコのインタビューが掲載されていたが、ゲイ・コミュニティで罵られていた過去を自覚したうえで「でも茨の道を進んで棘を払うくらいのことはできたんじゃないかな」とおっしゃっていた。そして彼は、同性愛者でもとりあえずある程度——少なくとも偽装結婚をせずにすむ程度には自由に生きることができる時代になって、すっと消えるようにいなくなった。認知症を患い悲惨な晩年と言われたが、ある意味美しい最期だったのではないだろうか。

そしてもう一人、昭和のオネエ少年としては思い出深い人が同時期にお亡くなりになった。

タイトルとURLをコピーしました