書籍の最初の数行を読めば、どの程度の本かわかる。音楽の一部分を聴いてくだらなければ、全体もくだらない。言葉を侮蔑的に使っているものからは距離を置くしかない。
9回:文章で、その人間の程度がわかる
以前、私の知り合いが「イラっとするメール」について語っていた。最初の一行を読んだだけでイライラするメールがあり、大抵の場合、同じ人物であると。その気持ちはよくわかる。文章とは恐ろしいもので、書籍でも最初の数行を読んだだけで、どの程度の本なのかわかってしまう。なぜそのような現象が起こるのか? 文体に書いた人間の内面がにじみ出るからである。数行の短い文章からにじみ出るものがダメなら、それ続く文章も推して知るべし。
これは音楽もそうである。一部分を聴いてくだらなければ、全体がいいということはありえない。
文章を読めば、その人間の程度がわかる。
卑近な例で申し訳ないが、グルメサイトに掲載された店を、テーマごとに再編集した「食べログまとめ」というページがある。たとえば、「新宿×ランチ」でネット検索すると、「新宿御苑前でランチしよう! 和食・イタリアンなど19選」というページが出てきたが、「だそう」「だという」という語尾の文章が最初から最後まで続く。
「旬のネタがバランスよく散りばめられているのだそう」
「水炊きの名店・玄海の味をカジュアルに楽しめる和食レストランだそう」
「水炊きの出汁をベースにした、風味豊かな味わいなのだそう」
「早めの来店がおすすめなのだとか」
「とろとろ卵で仕上げた親子丼は絶品なのだそう」
「コシのあるしっかりと打たれたそばは、喉越し抜群なのだそう」
「添えてある千切りキャベツと合わせると、いくらでも食べられるのだそうです」
……。冒頭部分だけでこの調子。ある種の狂気すら感じる。食欲どころか吐き気を覚える。その吐き気の原因は言葉に対する根源的な侮蔑である。