編集プロダクションのアルバイトなのか一般人なのか、誰が書いているのかはどうでもいいが、生まれてから「言葉」について考えたことが一度もなかったのだと思う。
私は一時期、取材を兼ねて1円パチンコに行っていた。そこで語尾がたいてい「おります」になる女性のアナウンスが気になりだした。
「さあ、1番台から10番台、本日は新台にてお待ちいたしております」
「なお当店では固定ハンドルは禁止しております」
「従業員がお声がけをさせていただいております」
……。「おります」を連発し、さらに「おります」の前に一呼吸置くのが余計に腹が立つ。
私は「おります」が始まると、パチンコ台の音量をあげた。そうするとアナウンスはあまり聞えなくなる。そしてアナウンスが終わると音量を下げる。「おります」「おります」「おります」と続くと気が狂いそうになる。私は「おりますババア」と名づけ警戒していた。
でもよく考えれば、そういう場所には最初から行かなければいいし、そういう文章は最初から目に入れなければいいし、そういうメールを送る奴とは距離を置けばいいだけ。汚いものの近くにいると、人間は汚れていく。大事なことは美しい文章、価値のある作品に触れ続けることだ。
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PROFILE:
適菜収(てきな・おさむ)
1975年山梨県生まれ。作家。大衆社会論から政治論まで幅広く執筆活動を展開。『日本をダメにした新B層の研究』(K Kベストセラーズ)『ニッポンを蝕む全体主義』(祥伝社新書)など著書多数。