49本目・『世界忍者戦ジライヤ』
前回に続いてなぜか地球上のあちらこちらにさまざまな忍者がいて、その忍者が敵になったり味方になったりして戦ったり戦わなかったり、悪いやつをやっつけたりする『世界忍者戦ジライヤ』である。
というのもその当時俺は就職もしないままずるずると漫画家生活に突入。漫画家だけでは生計が成立しないので文章を書いたり雑誌の編集作業を請け負ったりしていた。とある雑誌ではペンネームを10ぐらい用意していろいろな署名原稿を書いていた。むちゃくちゃな時代であった。
それというのも二十歳の頃に患った病気が原因などかなりの部分が不明で大学病院のチームなどにも診てもらったが結局完治しないまま症状がおさまったので一か月の入院のはてに退院、治療法がわからないので三十歳までに再発したら危険という死亡予告に準ずるものを受け、それで生きてた時期であった。つまりいつ死ぬかわからない、文字通りサドンデスを意識していた時期で長い目で見れば陰気な、そして短期的に見れば刹那的な俺であった。
ので、ともすればすべて見失ってしまいそうな時期だった。お金のつかいかたもむちゃくちゃで新車を現金で買ったのも生涯でその頃だけだし飲み会や飲食店で居合わせた全員の飲食代を面倒だからと全部払ったりもしていた。
そんなとき、ジライヤを見たのである。出会ったのである。
ジライヤの敵は敵としているが(悪いやつ、卑劣なやつ、宇宙からの侵略者など)敵とは別に世界忍者がいる。世界のあちこちにそれぞれの流派の忍者がいる。それぞれの地域での名称は忍者ではないのだろうが諜報員だったり工作員だったり戦闘のエージェントだったりして方向性として忍者である。彼らは敵になることもあるが共闘することもあり結局はその道を極めんとする仲間であり友である。仲間であり友であるが世界各地でそれぞれ活動しているためめったに顔をあわせることはない。顔をあわせるときにはライバル、敵であることも多い。ジライヤは現在の家族の中でひとりだけ宇宙由来の別存在であるためある意味孤独で刹那的なのだが世界に散らばるライバル、仲間に恥ずかしくないようにと歯をくいしばって生きている。
そこが俺に響いた。
俺も互いに認め合える同業者のために、どこかで知り合った彼、彼女のために、まだ巡りあえてない似た生活をしてる世界の誰かのために、恥じない人生にしよう、そう思ったのだ。