303回 『はだしのゲン』の想い出
自分が子どもの頃、『まんが日本の歴史』といった類の学習漫画を除けば、通っていた小学校の図書館においてある唯一の漫画が『はだしのゲン』(中沢啓治)だった。
子供たちに原爆の悲惨さ、戦争の悲惨さを伝える作品という平和教育の一貫という立ち位置で置かれていたのだと思う。
特に説明する必要のない大メジャー作品であるが、念のため説明すると、戦中戦後の広島で主人公のゲンたちが理不尽なものに対する怒りを抱えながらバイタリティーいっぱいに必死に生きていく姿を描いた、作者・中沢啓治の被ばく体験など自伝的要素が反映された作品である。
1973年に『週刊少年ジャンプ』で連載がスタート、ジャンプでの連載終了後に革新系の雑誌である『市民』、日本共産党系の論壇誌である『文化評論』、日教組(社会党の支持母体の一つであった)の機関紙『教育評論』と掲載誌を移しながら1987年に連載が終了する。ジャンプ以降の連載誌を全て共産党系とする人もいるが、それは正確とはいえないようだ。
当時図書館にあったのは汐文社版のコミックスだった。
小学校に学習漫画以外の漫画がおかれているなんて非常に珍しいことだったが、日教組の機関紙での連載作品ということもあって公立の小中学校にもおかれていたのだろう。
小学生のときに読んだのは『週刊少年ジャンプ』連載分にあたる箇所であって、ゲンに髪の毛が生えだすところまで。その後、中学生から高校生にかけて汐文社版で最後まで読んだという記憶があるが、学校の図書室だったか、公立の図書館であったかは定かではない。
自分の母は広島出身。祖母は原爆投下直後に10代で親戚の安否を求めて広島市に入り黒い雨に打たれ、原爆手帳を持っていた。祖母は自分が高校生のときに50代で白血病が原因で亡くなったが、火葬後、骨がほとんど残っておらず(必ずしも原爆の影響といえるわけではないが)、針治療をしたときに折れた針の先が数本残っていたという話(葬儀には父母だけおもむいたので詳細はわからない)を母からきいた。『はだしのゲン』みたいだなと思ったのと、鍼治療怖いと思ったのをおぼえている。