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晩年恥をさらしたプロ野球選手9人

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立つ鳥跡を濁さず、引き際をわきまえた真の名選手は数えるほど。選手生命が短いとはいえ、老害と成り果てても金と名誉のために現役にしがみつく者があまりにも多い野球界。その中でも特に残念な9人の、みっともない悪あがきの数々を見ていこう。
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名球会入りにこだわり晩節汚す

日本プロ野球で名球会入りする条件は「投手で通算200勝または250セーブ以上」「野手で通算2000安打以上」を達成することとなっている。

この数字にこだわり、晩節を汚し、老害と成り果てる元名選手が後を絶たない。

最近で言うと、田中将大の悪あがきが酷すぎる。

高校野球ファンならご存知、2006年夏の甲子園決勝再試合。ハンカチ王子こと斎藤佑樹に最後は負けてしまったが、「世代最強エース」はマー君であると誰もが認め、ハンカチ世代改めマー君世代をけん引していく。

振興球団だった楽天から1巡目指名を受けて契約。野村監督の指導もあって、高卒1年目で新人王を獲得した。その後も勝ちを重ねてエースとなり、11年に沢村賞獲得。13年には24勝0敗1Sという伝説的な成績でチームを日本一へと導き、メジャーへと旅立っていった。

名門ヤンキースと総額1億5500万ドル(当時のレートで約161億6000万円)の7年契約で合意。期待に違わぬ活躍をし、19年までに日本出身の投手として最多となる4度の開幕投手を務め、NPB時代を含めると11年連続で2桁勝利を収める。

コロナ蔓延の20年、試合数が激減して連続記録は途絶えてしまったこの年にFAとなり、去就が注目される中、田中が選んだのは日本球界復帰。古巣である楽天と推定年俸9億円+出来高払いの日本人史上最高年俸で契約した。

21年は4勝9敗、翌年は9勝12敗。防御率は共に3点台と、悪くはないけど凄くはない数字。契約満了し、海外FA権を獲得していたが……。

ここが潮時。 ここで引退していれば、名実共に大投手として記録と記憶に残されたであろう。

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しかし田中は年俸が半分程度になっても再契約して、現役続行にしがみついた。この時点で日米通算190勝。200勝が見えちゃったんでしょうねぇ。えぇ。

23年は7勝11敗で2年連続リーグ最多敗戦&2年連続リーグ最多失点を記録した。  ここが引き際の限界だが、200勝まであと3勝ということもあってか、再び楽天と契約しちゃった田中。その結果、24年は1軍登板はわずか1試合のみ(敗戦)で終わった。

これまでの成績があれば名球会入りは確実だから、もう辞めようよ……という意味合いもあったのだろう。オフの契約交渉で楽天は制限を超える減額提示をした。

これに対して田中は……。 拒否して自由契約!  バカなの? アホなの?  田中は取材にこう答えた。 「オファーをいただいたっていう事実はありますけど、個人的にはもう実質、居場所はないんじゃないかっていうぐらいの(減額)……直接そんなことは言いませんよ。言わないですけど、受け取る側としては、そう受け取りました」

いや、言っちゃってるし。直接言ってなくても、公に言っちゃってるし。

「ひとつ思い出していただきたいのは、そもそもイーグルスに戻ってくるタイミングのときに(大リーグからの)それ以上はあったオファーを蹴って戻ってきている。イーグルスから出されたオファーよりも上のオファーは事実としてあったので、そこをもう一度、思い出していただきたいなというところはあります」

ダセぇ。コイツ、ダセぇ。

で、あがきまくりの現役続行で自由契約を選択した田中。この年に問題となった楽天・安樂智大パワハラ騒動にて、若手イジメの現場にいながら止めることなくニヤニヤしていただけの動画が拡散されて、グラウンド外でも株を落としまった田中にオファーを出す球団など、どこにもないと思いきや……ありました。脛に傷があっても人気があれば誰でも獲るので有名な、読売巨人軍。流石です。

結果、3試合で27被安打13失点という大炎上しても、使い続けられる老害っぷりを発揮している。 名球会入りしたとしても晩節を汚しまくった記憶もまた、永遠に刻まれた。

リハビリのために日本球界復帰

甲子園で怪物と呼ばれ、日本球界で数々の記録を残し、メジャーリーグでも結果を残した大投手といえば、松坂大輔だ。

甲子園の決勝でノーヒットノーランを達成するなど、類い希なる活躍をしてプロ入り。1999年から8年間の第一次西武時代には合計で21個のタイトル(パ・リーグ投手タイトル9個&沢村賞など主要表彰12個)を獲得し、日本シリーズ優勝に貢献した。

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