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晩年恥をさらしたプロ野球選手9人

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2007年に海を渡るとその年にワールドシリーズで勝利し、新人で優勝を経験。WBCでもエースとして2度の優勝に導いており、優勝請負人といっても過言ではない活躍をした。メジャーでも2年目までは獅子奮迅の勢いだったが、3年目から故障が続き、成績は右肩下がりになっていく。12年には防御率8・28という散々な成績を残してFAとなる。ここが潮時。

しかし13年、インディアンズとマイナー契約。シーズン途中で自由契約となり、メッツとメジャー契約するもマイナーと行き来しながら翌年FAとなる。

ここが限界。 引退するか、西武に戻るならまだしも……。同リーグライバルのソフトバンクと3年12億円の大型契約って、正気ですか?

結果、ケガのリハビリで3年消化していい加減に引退かと思いきや……。

17年、中日に入団テストで入るって、晩節汚すにも程があるだろ。 18年にちょっと復活するも、19年の春季キャンプでファンと握手して右肩故障って、どんだけ弱ってんの?  20年、「レオ党に恩返しする」と今更西武に戻るも、またもや手術でリハビリの日々。恩を仇で返した結果、翌年引退した。

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イチローの引退会見での「後悔などあろうはずがない」という言葉に刺激を受けたというが、後悔しかない晩年だったであろう。

甲子園で打者の怪物といえば、清原和博。 PL学園高校時代は桑田真澄と共に「KKコンビ」と呼ばれ、高校通算64本塁打を記録した。ドラフトでは幼い頃からの夢だった巨人入りは果たせなかったが、86年に西武に入団。

「西武黄金時代」に4番として君臨した。10年経ち、FAで念願の巨人入りを果たした後もそれなりの結果を残して、04年には2000本安打を達成。しかし同年、成績が低迷し、堀内監督の戦力構想から外れたことも判明していた。

ここが潮時。名球会入りの条件も達成したし、1年残っていた契約も破棄して引退していたらカッコよかったのだが、現役にしがみついた。

翌年、両耳にダイヤのピアスをつけて試合に臨んだり、本塁打を打った後、監督やコーチ、選手とのハイタッチを拒否したり。素行で悪目立ちした上に成績も振るわず。戦力外通告。

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