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晩年恥をさらしたプロ野球選手9人

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亡くなる直前の仰木彬に電話で口説かれてオリックスに入団するも「(死球を受けたら)命を賭けてマウンドに走って行き、そいつを倒したいと思う」と報復宣言するなど、悪目立ちだけして成績は残せず。ケガから回復も見込めず、給料泥棒状態で3年後に引退。

評論家・タレントに転身後は仕事のドタキャンが相次ぎ、銀座高級クラブのママとの不倫も露呈。素行不良まみれ後、16年に覚せい剤所持で逮捕となる。

昔を知らない野球ファンにとって清原は「シャブ中のおじさん」という認識以外の何者でもないだろう。

生涯ホークスを宣言して巨人へ

西武に代わってパ・リーグで黄金時代を築いていくことになるホークス。ダイエーからソフトバンクへ変わる中、主力打者と活躍したのは松中信彦である。

1997年に入団。徐々に成績を上げ、2004年に三冠王となる。だが手術をしてから成績を落とし、12年には打率・221で年俸1億円を切った。

ここが潮時も現役続行したが、成績は上がらないまま15年に退団。それでもあがき、複数球団の入団テストを受けるが翌年開幕前に引退した。

平成唯一の三冠王の晩年は見ていられなかった。

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松中全盛期にホークスで輝いていた投手は杉内俊哉。

04年にベンチを殴打して骨折するといったバカなこともしていたが、翌年の05年には最多勝・最優秀防御率・沢村賞を獲得し、MVPにも選出された名投手である。

その後も好成績を残し、10年にトークショーで「生涯ホークス」を宣言。そして1年後、巨人へ移籍を表明……え?  巨人でも結果を出して、13年からは2年連続年俸5億円。だが15年に股関節痛で戦線離脱し、成績低迷。

ここが潮時も、4億5000万円減の5000万円+出来高という、球界史上最大の大減俸でサインした。以後3年間、一軍登板なしの給料泥棒状態で過ごし、引退。その後、巨人のコーチを続けている。「生涯巨人」に寄生する模様です。はい。

その杉内が最も影響を受けたという、斉藤和巳。福岡ソフトバンクホークスで3度のリーグ優勝、2度の日本シリーズ優勝に貢献。平成唯一の投手5冠を達成した大投手である。

しかし07年に右肩故障してからは手術&リハビリ生活に入る。11年には現役復帰を目指しつつ「三軍リハビリ担当コーチ」に就任。12年に現役復帰を諦め、引退。6年間、リハビリで給料を受け続けたため、「プロリハビラー」の称号を得た。

代打で全試合出場という珍記録

ケガでも試合に出続けたといえば、金本知憲である。  強肩と長打力を買われて広島に入団。4番打者で広島の顔となるも、球団の財政事情で放り出されて阪神へ。そこでも長打を量産して、リーグ優勝に貢献した。

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