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自称歴史通たちに過大評価されている無能な武将

歴史
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さも自分が見たかのように、武将の功績を語る歴史マニア。でもそのほとんどが嘘か尾ひれがついた話。歴史好きが無駄に持ち上げる武将を一挙紹介。
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高利貸しに手を染めた豊臣秀長

大河ドラマの主役としては描かれないような知名度がそれほどない戦国武将が、ゲームやコミックスなどの影響からか、“あえて”持ち上げられている雰囲気があるが、彼らの実際の業績を見てみると、持ち上げられるべき点はまったくない。イタい歴史通が功績を過剰に持ち上げて、チヤホヤして、ありがたがっているだけなのが現実だ。

今年の大河ドラマの主人公となっている豊臣秀長も、その1人。大した功績もないし、兄貴がたまたま棚ボタで天下を獲った秀吉だったというだけで、豊臣政権を陰で支えた名バイプレーヤー扱いされて、その実力以上に過大評価されている。

秀長は、温厚な良識人として取り上げられることが多いが、政治家としては吝嗇家(ケチ)で、秀吉同様に冷酷な一面を持っている。領国の大和・紀伊・和泉では、町人に対する金銀や米銭の貸し付けの制度化の「ならかし(奈良貸し)」をおこなっていた。この「ならかし」は、秀長の大名としての権力のもとで行われた強制的な貸し付けで、高利の返済に追われた町人たちは非常に苦しんでいた。  厳しい取り立てにより、町人が商人を殺害したり、自殺や一家心中に追い込まれる事件も起こっている。秀長は亡くなった時には莫大な財産を遺しているが、こうした蓄財ができたのも、「ならかし」のような民衆から搾取する仕組みを導入し、自らの領国で平気でおこなっていたからだろう。これのどこか温厚な良識人なのか。

ここではそんな秀長のように、歴史通から無駄に過大評価されている戦国武将たちの残念すぎるショボい実像を紹介していく。

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石田三成の側近として戦国末期に活躍したと言われる島左近清興。元々は筒井家に仕える侍大将だったようだが、隠遁したのちに、優秀な武将を求めていた三成本人から三顧の礼で迎えられて、その配下になったと言われている。

一説には、三成が4万石の知行だった時に、その半分の2万石の俸禄を提案されて、召し抱えられたという話すらあるほどだ。

この時代には「治部少(三成の通称)に過ぎたるものが2つあり 島の左近と佐和山の城」と世間から謳われているようだが、実際には関ヶ原の合戦で主君の三成を勝たせることはできず、本人も東軍の前に無残に討ち死にしている。

頭でっかちで戦下手な三成が貧弱な存在として描かれることが多いため、その対比で筋骨隆々でカッコいい武将として描かれることが多いから、勝手にイメージが醸成されて過大評価されているのが実態なのだ。ただの絵に影響される自称歴史通多すぎ!

美談にされた大谷吉継の男色

三成の盟友として敗北を覚悟しながら、関ヶ原の戦いで西軍側で参戦した大谷吉継。病に侵される前は、豊臣秀吉から「100万の兵を指揮させてみたい」と言われるほどの名将だったそうだが眉唾。実際に関ヶ原の戦いでは、小早川秀秋や、自分の与力だった脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保たちの裏切りにあって壊滅。その場で自刃している。統率力ゼロ!

劣勢が予想されていた西軍側に吉継が加わったのは、三成との深い友情が背景にあると言われて美談のように描かれることが多いが、年齢が近い2人は若い頃に衆道の関係だったという説もある。ただの男色話すら、持ち上げないと気が済まないのか。

豊臣秀吉の参謀として、天下獲りを支えたと言われているのが黒田官兵衛孝高だ。

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