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池田大作の死後、創価学会はどうなるのか?

社会
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創価学会名誉会長・池田大作氏が11月15日死去した。池田氏の死により創価学会はどうなるのか。池田氏の生前、2022年3月発売の月刊誌『実話BUNKA超タブー』2022年4月号に、長年創価学会を取材してきたジャーナリスト山田直樹が寄稿した、池田氏の死後の創価学会に関する考察を掲載する。
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大規模に行われた前会長の葬儀

創価学会二代目会長・戸田城聖氏の葬儀は、1958年4月20日に東京の青山葬儀場で執行された。

実はこの光景の一部を捉えたニュース映像がある。それはかつて、東京・九段下にある「昭和館」映像ギャラリーなどでしか観ることができなかった。ところが、いまやYouTubeにアップされ、簡単に鑑賞できる。

この葬儀には、約25~40万人の創価学会員が大挙して馳せ参じた。池田大作創価学会名誉会長は小説『人間革命』の中で、自身(山本伸一)を葬儀の運営責任者として描くが、学会序列(当時)の中では中の上クラス程度である。

新聞報道では、前段の4月8日「戸田家告別式」(豊島区寺院で挙行)でも創価学会員が押し寄せ、新宿区落合の火葬場まで延々と列を作ったとある。朝日新聞の記事には「参列者12万」と人数が出てくるが、この数字で比較するなら、60年の「安保闘争」で国家へ押し寄せたデモ隊なみ(警察発表数)の動員力なのだ。

90年代に、実際この青山葬儀場での「学会葬儀」へ弔問に出向いた古参の元学会員から話を聞く機会があった。彼は、こう述懐するのだった。

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「信濃町の学会本部から出て、神宮外苑を通って青山葬儀場へ向かうのですが、とにかく一にも二にも軍隊調でした。先頭に鼓笛隊がいて、音楽を鳴らしながらデモ隊のように行列して“練り歩く”葬儀ですからね。柩がオープンカーに載っているのも周囲からすると異様だったでしょう」

では、池田氏が亡くなったとき、同様のことが起きるのだろうか? 戸田氏逝去の後、創価学会会長の後任が決まらず、約2年間の空白期間が生じている。この間に、内部の権力闘争で勝ち抜き、60年5月3日、晴れて創価学会会長の座を射止めたのが池田氏だった。ならば、池田氏の死後、またしても過酷な権力闘争が起きるのだろうか? 以上2点に触れる前に、池田氏の今をトレースしておく。

「生き仏」と化した大作先生

池田氏は「齢94」にして「世界平和のための提言」という3万字以上の原稿をしたためる――これは、尋常な物書きではあり得ない「能力」だろう。それだけではない。創価学会機関紙『聖教新聞』を一瞥すれば、そのお人が発信した「詩」や「和歌」、「激励文」があふれ返っている。このほか、学会系出版物への寄稿もなさる。先述の「提言」(2022年1月26日発表)は、創価学会インタナショナル(SGI)会長・池田大作の肩書で、今年47回目を数えるいわば恒例発表文書である。池田氏による原稿執筆、そこに至る思考や思索、資料収集などの作業を想定すれば、およそ並の94歳にはマネができない。

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