その「真実」自体は共感しやすいものでも過程がわかりにくいし、結局自分のことしか語ってないので「物語」に共感しにくい。妄想の生む個人的な小さな「物語」を参考にしながら、他人を誘導するために現実の断片を元にウケをよくするために信じてもないような話を接合して作られた大きな「物語」を作っていくのが、陰謀論者に流通しているような「陰謀」なのだ。
妄想も「陰謀」も、矛盾だらけで非科学的で常識的に考えてありえないことを言っているものある。しかし、妄想はたまに強度が強く印象的なイメージが出てくるが基本的には支離滅裂で退屈なものだが、「陰謀」はどんなに出鱈目で雑でも想定される受け手が喜ぶようなカンドコロはしっかり抑えているために人々に広がりやすいという違いがある。妄想はこれから何かをなすための動機であって作品ではなく、「陰謀」は受け手の気持ちを揺さぶるために作られた作品である。
小さな「物語」に大きな「物語」は入り込むことはできないが、その逆は可能だ。だから明らかに病んでいる人が陰謀説の虜になり自分の妄想を強固にしたり、一つの「陰謀」を共有することで、本来であれば重なりあうことがなかったであろう妄想の持ち主同士が交流して妄想を交換しあってるような光景も生まれる。
妄想が交換されている光景がある一方、「陰謀」が足されていく光景もある。
新型コロナ禍の現実が耐え難く、元の世界が恋しくて「コロナは風邪」説を支持しだしたであろう相互フォロワーの人がいるのだが、「コロナは風邪」系のRTをしていたと思ったら、いつのまにかディープ・ステート系の話もRTするようになっていた。たいていの場合、「陰謀」は、何か別の「陰謀」と一緒にツイートで語られてたり(あと、その手のハッシュダグが大量についてたり)するので、心が弱って受け入れやすい体勢になっている人が、互いに内容が矛盾するような様々な「陰謀」を何の疑問も持たずに受け入れてしまったのだろう。RTの間にたまに挟まっている、変にハイテンションな啓発ツイートを見ていると、悲しいけど戻ってこれないかもしれないと思ってしまう。
コロナ禍の中でメンタルを弱らせた人が陰謀論にはまっていき、こじらしていく様子は悲しいものがある。否定と肯定と煽りによって陰謀論者に成長していく過程は、妄想が強化されていく過程に似ている。
フェイクニュースに引っ掛かって指摘され、その指摘を素直に認めて謝ってたような人が、指摘されても変な言い訳をして謝らなくなり、指摘を無視するようになり、自分の信じたいフェイクニュースを真実だと言い張るようになり、他人の示したエビデンスをフェイク呼ばわりするようになる。それでも、「あの人たちは騙され、フェイクニュースを真実だと思い込んでいる」みたいに思ってるうちはいいが、「奴らはフェイクニュースと知りながらも意図的に流している」みたいな悪意認定してくるようになったら、戻ってこれないところにいってしまったと思わざるを得ない。
それが事実でないと知りながら嘘をついて相手を貶めようとしているなら人格が下卑すぎだし、他人にもらった「陰謀」に踊らされてるだけの人が自分の中から妄想を生んでしまうようになったとしたら非常に恐ろしい状況だ。
薬物使用が妄想の原因なら薬物を辞めればいいし、病が原因なら治療すればいい。実際に戻ってこれるかどうかはともかく、やるべきことはわかっている。しかし、こういう人はどういう対処をすれば戻ってこれるのだろう? 私にはわからない。
ただ、わかってることもある。もし、相手を貶めるために嘘をつくのが平気になったということだとしたら、別に病気じゃないから治らないだろうし、そういう人とは関わらない方がいいということだ。
〈金曜連載〉
真夏の陰謀論小咄:ロマン優光連載252
「暇アノン懺悔録」について:ロマン優光連載262
ASKAのBUCK-TICK櫻井敦司死去に関する発言について考える:ロマン優光連載263
いまだに続く「恒心教」の連鎖:ロマン優光連載254
ジャニーズ擁護を頑張る人々:ロマン優光連載255
PROFILE:
ロマン優光(ろまんゆうこう)
ロマンポルシェ。のディレイ担当。「プンクボイ」名義で、ハードコア活動も行っており、『蠅の王、ソドムの市、その他全て』(Less Than TV)が絶賛発売中。代表的な著書として、『日本人の99.9%はバカ』『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに』(コアマガジン刊)『音楽家残酷物語』(ひよこ書房刊)などがある。
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