二次大戦後、アメリカの占領統治下でも60年代の頭までは方言札が教育の場で使われていたのが確認されている。標準語が使えないと本土の人間と会話が通じないので標準語を習得する必要性を感じていたという側面もあるだろうが、標準語が使えないと本土で差別されたり酷いめにあうからという面もあったのだろう。「良き日本人」になれば差別されない、「良き日本人」を目指そうといういう同化を目指す流れのなかで失われた言語や風習もあった。
テレビやSNSのようなものは繋がればこちらが意図しないでも色んな情報が勝手に飛び込んでくる。自分が特に興味を持っている事柄でなければ、なんとなく目の前を流れていくだけで、特に何かを考えたり、気づいたりもしない。
この番組をたまたま観ていた(テレビをつけっぱなしにして家族と会話していたら偶然やっていた)のだが、 二階堂氏から連想して、彼女の台詞が引用された町山智浩氏と水道橋博士の配信や2人が加賀賢三氏、睡蓮みどり氏、早坂伸氏とおこなった配信のことを思い出してながらただボンヤリ眺めていただけだ。
肯定的に評価する人がいる一方で……
確かに差別しようという「意図」や沖縄をバカにしようというような「悪意」があったようには見えなかった。
二階堂氏が方言を使ったり方言をださないために四苦八苦するような、普段はみることのできない姿をみせることで、親しみやすさ・人間味を感じさせていこうというような企画だろうし、沖縄に対してもポジティブな扱い方をしていたように見えた。沖縄出身の人の中に、そういった面から番組を肯定的に評価している人がいる理由も理解できる。
悪意もないし、沖縄の人も喜んでいるし、別にいいじゃないかという意見も当然あるだろうが、そういう話ではないのも確かなのだ。
一番単純な話をすると、喜んでいる人がいる一方で不快に思っている沖縄出身者もいるわけで、喜んでいる人がいるからといって不快に思った人が無視されていいわけではない。
わざわざ問題を掘り起こすなという人もいるが、別に掘り起こしたわけではなくて、それはずっとそこにはあるし、単にその人に見えてなかっただけの話だ。