58本目・『0課の女 赤い手錠』その第四回
私は『カルトQ』ヤクザ映画の回で優勝できなかった。
途中経過のまま、二位か三位で終わった。
プロの物書きとしてみじめといえばみじめだったが予選を受けずに出た者としてはこれでよかったのだとも思った。
それから二十年近くが過ぎた頃。
ひとつの出来事があった。
私はラッパーの修業をしていた。
クラブでDJもしていた。
スペースシャワーの番組に出ていた。ユーザロックがメインだった。私はヒップホップの修業のようなことを番組でした。いろんな人に会ったしいろんな場所に行った。だがそれはただのワーク。仕事。ヒップホップには関心も興味もなかった。まあ、それが制作側の望むところでもありなんにも知らない門外漢が行く先々の本物たちに「もっとこうしたほうがいいんじゃないですか」みたいなことを私が言う、それが面白みだった。
行く先々の人たちはちゃんとしてた。
「なるほど」と、門外漢の私の言葉に耳を傾けてくれた。
思えばヒップホップという世界自体がクロスオーバー、ボーダーレス、多様性に満ちていたのだ。