「法人に全責任がある」というのは極めて卑怯
1月29日、ドラマ化をめぐるトラブルを抱えていた漫画『セクシー田中さん』の作者、芦原妃名子さん(50)が、自殺するという痛ましい事件が起こってしまいました。
一般的で無難な意見では、原作者と脚本家の間に入って調整できなかった日本テレビや小学館が悪いということになっていますが、果たしてそうでしょうか。
もちろん日テレや小学館が悪なのは、いうまでもありません。どうせ関係者どちらにも良い顔をして二枚舌を使っていたに決まっています。一応、日テレは「法人である大企業の日本テレビに全責任があるので、関係者個人への誹謗中傷をやめるように」という意味のコメント出していますが、これは法人という人類の作り上げた実体のない幻想に責任を転嫁して逃げ切ろうという極めて卑怯なやり方です。そんなものに騙されてはいけません。
目に見えるかたちで明らかに芦原さんを攻撃し、自殺の一因を作ったことが疑いようのない脚本家の相沢友子氏の行いが、このまま忘れ去られていいはずがないのです。
ダメージを与える意図を持って書かれたであろうインスタ
相沢氏は昨年12月、自身のインスタグラムで「最後は脚本も書きたいという原作者たっての要望があり、過去に経験したことのない事態で困惑しましたが、残念ながら急きょ協力という形で携わることとなりました」「私が脚本を書いたのは1~8話で、最終的に9・10話を書いたのは原作者です。誤解なきようお願いします」「今回の出来事はドラマ制作の在り方、脚本家の存在意義について深く考えさせられるものでした」「この苦い経験を次へ生かし、これからもがんばっていかねばと自分に言い聞かせています」「どうか、今後同じことが二度と繰り返されませんように」などと投稿していました。
こんな剥き出しの悪意の表明があるでしょうか。
曲がりなりにも脚本家という文章を生業にしている職業の人が書いたものなのですから、「そんなつもりではない」はさすがに通用しません。どう考えても、この人は芦原さんにダメージを与える意図を持って、これを書いています。しかもなんなら自分の身内たちが、ファンネルとしてその悪意を世間に垂れ流すことすら計算していたでしょう。
しかも芦原さんの訃報を聞いた瞬間にインスタを鍵垢にして逃亡とか、無責任にもほどがあるでしょう。自殺報道から10日が経過した2月8日に、インスタにて訃報を悼む投稿をアップしましたが、
「SNSで発信してしまったことについては、もっと慎重になるべきだったと深く後悔、反省しています」
「もし私が本当のことを知っていたら、という思いがずっと頭から離れません」
といった言い訳めいた内容。本当のことを知っていようが知っていまいが、ドラマの原作を提供してもらった芦原さんへ攻撃が向くことが容易に想像できる内容をアップするとかどうかしています(インスタは訃報に関する投稿を行った後削除)。
なぜ「原作クラッシャー」と呼ばれるのか
ちなみにこの相沢友子氏、「原作クラッシャー」の悪名轟く、いわくつきの脚本家で、能力に疑問符がつくことは、この悪評に現れています。それでも芸能人と仲の良いことや業界で顔が利くことが自慢で、仕事をもらっていたようですが。
わかりづらいと思うので、改めて「原作クラッシャー」という呼ばれ方が、なぜ無能の証明なのかを説明させてください。たとえばクドカンは『池袋ウエストゲートパーク』の原作をズタズタにしていますが、悪く言われることはありません。石田衣良はどう思っているかわかりませんが…。同様に宮崎駿の『魔女の宅急便』『耳をすませば』『風立ちぬ』、高畑勲の『母をたずねて三千里』『アルプスの少女ハイジ』なんかも原作は改変されまくっていますが、宮崎と高畑を「原作クラッシャー」と呼ぶ人はいないでしょう。
結局、元も子もありませんが、クリエイターとして才能があれば、原作の改変は許容されます。20年以上も脚本の仕事をしてきて、それでも相沢友子が「原作クラッシャー」と呼ばれるというのは、つまり才能がないってことなのでしょう。
才能がない脚本家が、他人の褌を借りて、いくら自分を大きく見せたところで、今回のような悲惨な末路が待っているだけなのです。
しかし1人の無能の自己表現の犠牲となり、ホンモノの貴重な才能が失われてしまうとは、皮肉な話という他ありません。
初出/実話BUNKAタブー2024年4月号
セクシー田中さんの悲劇で露わに SNSの問題は誹謗中傷にあらず
セクシー田中さんで伊藤英明さんにまで飛び火:ドラァグクイーン・エスムラルダ連載504