キモいガンオタよ、頭を冷やせ
映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』が、ガンダムシリーズで史上最高の興行収入らしい。次いで、『めぐりあい宇宙編』『閃光のハサウェイ』といった順だ。観客動員数でも歴代トップの模様。
これにどよめいたのが、昭和のガンオタ。「『めぐりあい宇宙編』の記録を遂に塗り替えちゃったかぁ(ニチャ〜)」という肯定的な意見から、「当時はチケット1枚で何度でも観れたから単純比較するのはおかしいのでは(めっちゃ早口)」という否定的な意見まで。要は、「ガンオタって、本当に気持ち悪いもんですね〜」という話である。
ガンダムの映画がそんなに素晴らしいものなのか。否である……多分。令和のいま改めて観返してみて、どの程度つまらないかを、解説した。頭を冷やせ!
機動戦士 ガンダムⅢ めぐりあい宇宙編(1982年)
『SEED FREEDOM』が現れるまで、ガンダムシリーズで不動の興行収入1位だった作品。なんてことはない、ファーストガンダムのただの総集編である(3部作の最終章)。
富野のロボットアニメと言えば恋愛に発展しそうになったらブチ殺されて死ぬというイメージが定着しているが、『ガンダム』は大学のサークルかってくらい、キッショい恋愛模様を見せられる。ララァ、お前だよ。
褐色肌でインド人っぽい女。シャアとヨロシクやっちゃってるのはわかるよ。ララァがシャアに恩を感じてるみたいだし、なんか助けてくれたのだろう。でもアムロ(若井おさむの声の人)と惹かれ合う意味がわからない。フィーリングが合ったということなのだろうか。童貞(=アムロ)ならではの都合のいい解釈かもしれない。おてんばキャラのフラウ・ボゥもアムロに恋心を抱いてるのもムカつく。おそらく今のアニメが、主人公がロリ少女からモテモテの萌え系アニメばかりなのも、この『機動戦士ガンダム』が元凶なのだろう。
そもそもララァなんて、『宇宙戦艦ヤマト』のスターシャの二番煎じだし。パクリだとバレたくないから、褐色肌のキャラにしているあたり、富野のセコさが現れている。
しかしこの映画には考えさせられるものが一切ないのに、なぜヒットしたのか。ララァがアムロに「あなたには守るべき人も家もないのになぜ戦うの?」と聞いたときに、うわぁー! とアムロがなったことくらいか。これはオタク=結婚してない独身男への痛烈なメッセージだろう。やっぱりガンダムは恋愛メインのアニメだったのだ。気持ち悪い……。
劇場版機動戦士ガンダム(1981年)
TV版の第1話に該当する部分はクオリティが高い。童謡にしてもいいレベル。でもそれ以降は冗長だし中身もない。メッセージ性があるとしたら、男らしさこそが大事で、女は男を立てるべきという古きジェンダー論の押し付け。倫理観が終わってる。
総集編だとあまりにもテンポが良すぎて、ストレスの限界でアムロが放心状態になるのが(いわゆるクズ人間化)あまりにも唐突で、よく意味がわからなくなっている。いきなりアムロが殴られて可哀想……。
機動戦士ガンダムⅡ哀・戦士編(1981年)
TV版の小難しいセリフが尽くカットされているから、えらくわかりやすいな。ファスト映画のようにバカには理解しやすい。主要キャラを殺して安易にセンセーショナルにしているのが気になる。「マチルダさん……マチルダさん……マチルダさぁぁん!!(射精&賢者タイム)」とか。ちなみにアムロは同時に死んだリュウ(血色の悪いデブ)には目もくれない。さすが女とロボにしか興味ない童貞。いかにもオタクって感じ。
しかし劇中歌がダサすぎるのなんなん?