小柳 即決で、もうその日から。自分は同期と3人で行ったんで、グループになって。
――南部さんがけっこうヤバい人でダチョウを追われたみたいなことも知らないまま?
小柳 いや、それは組んだときすぐ聞いて。南部さん、ダチョウの頃から『ひょうきん予備校』でハチャメチャで。その番組って講師役に大御所を呼ぶんですけど、南部さんがその講師にすごい悪態をついてたら、プロデューサーの横澤(彪)さんに「南部ちゃん、そのキャラクターいいよ! どんどん失礼なこと言って」って煽られて、ハナ肇さんが講師で来たときも「ぜんぜんおもしろくないですよね」って。山本晋也監督にも「監督監督って言われてますけどたいした映画を撮ってませんよね、ポルノばっかりで」みたいな失礼なことをどんどん言ってたら肥後さんと寺門さんが引きだしちゃって、「ウチら干されるんじゃないか」って。だからまずは南部ちゃんを弾こう、みたいになったらしいですね。
――山本晋也監督が激怒したっていう伝説は聞いてるし、ハナさんのときも観てました。
小柳 ハナさんもブチ切れたらしいです。『ひょうきん予備校』って南部さんが一番前の席で、うしろにダウンタウンがいたんですよ。南部さんはそのときウサギの形のリュックを背負ってて、松ちゃんに「南部さん、リュックが邪魔で前見えへん」って言われて、南部さんリュック下ろすのかと思ったら、リュックのなかからおもむろにハサミを出してウサギの耳を切って背負い直して(笑)。
ダチョウ倶楽部脱退直後
――完全にどうかしてます! 実際に接してみても、やっぱりやばい人でした?
小柳 初めて会ったときはふつうだったんですけど、稽古が始まってからはけっこうガラッと違いますね。歳とってだんだん丸くなってきたんですけど、ギュウちゃん入ったときもギュウちゃんぶっ飛ばされてますからね。
――えっ!!
ギュウゾウ その話、あとでガッツリやろう。俺は南部さんから入ってくれって言われたんじゃなくて三五(十五)さんからめっちゃ誘われてて。でも三五さんは南部さんとうまくやれるかどうか、当時の漫才師の人たちとかもそれはよく話題になってたらしくて、三五さんもなかなか入らなかったじゃない。
小柳 組んですぐ4人で稽古して、明日ライブがあるよっていう日にウチの同期ひとりが本番に来なかったの。そのままそいつはフェードアウトして3人になって、そして2人だけになっちゃったんですよ。当時の南部さんはすごいピリピリしてて、たぶんダチョウ謀反のストレスなのか、いまのキャラクターとは違う感じで怒鳴り散らしたりしてましたね。だけど変人とか変わり者っていうイメージでもなく、劇団の演出家みたいな感じ。
ギュウゾウ ああ、それだ!
小柳 蜷川幸雄さんみたいに「なんでこんなことできねえんだ!」って感じでしたね。ギュウちゃんはまだ大部屋俳優で、大野剣友会にいる頃。大学の応援団長のときに『名門!多古西応援団』っていう映画に出て、そのまま就職しないで、タカさん(石橋貴明)の保毛尾田保毛男に斬られてたりしてた(笑)。
ギュウゾウ なんでいまその話するの! それ俺あんまり言わないようにしてるのよ! それで最初、南部さんに会ったら、「『ブルース・ブラザース』みたいにブラックジョークとパフォーマンスで歌ったりっていうグループを作りたいから手伝ってほしい」って言われて、そのときはけっこう下手にきてた。
小柳 入った当時、エアジョーダンとかああいうバッシュが流行ってて、ギュウちゃんはハイカットのバッシュ履いてステージに立ってたんですよ。それに南部さんがすごいピリピリしてたから食いついて、「ギュウゾウ、そんな靴履いてお笑いできねえよ!」ってさんざん言って。でもそのバッシュを脱ぐのが嫌だったらしく、そんなくだらないことで南部さんとしばらくのあいだ言い合ってて。
ギュウゾウ パトリック・ユーイングのスニーカーなんだけど、テレビ出たときにそれ履いてたら、ユーイングが全面協力するって。
小柳 全員ぶん靴と革のジャケット支給で。
ギュウゾウ そしたら南部さんがコロッと変わって。「これが一番動きやすいよ」って。
小柳 「バスケやる靴だもんなあ」なんて言いながら毎日のように履いてて。靴だけじゃなくて革ジャンも提供してもらったんですよ、背中に「EWING」ってロゴが入ってるのに、何を考えたか滑り止めのゴムのついた軍手をロゴの上に貼り付けちゃったんです。