PR
PR

ジェームズ・ガン監督『スーパーマン』を観てきた(ただの感想):ロマン優光連載350

連載
連載
PR
PR

トランプを思わすバジル・グルコス大統領が率いるロシアを思わすボラビア共和国がパレスチナを思わすジャルハンブルに軍事侵攻し、その背後にイーロンを思わすレックスが暗躍していて、ジェームズ・ガン監督の「これは移民の物語だ」という発言のとおり、ヒーローであるスーパーマンの移民性が強調されるという、現実の状況が反映されている作品でもある。今現在の状況に対する批判が直接的に打ち出されると感じることも多いが、撮影開始が2024229日で終了が2024731日。シナリオが描かれたのはそれよりも前のことであり、現実が想像に追いついたということなのだろう。いや、作中のアメリカは最終的には秩序と正義の側にあるのだが、現実のアメリカは混沌の真っただ中にあり、現実が想像を追い抜いてしまっていた、つらいかぎりである。

スーパーマンは滅亡したクリプトン星の生き残りとして赤ん坊の時に地球にやってきた移民であり、もっと言うと難民である。そんな彼が良きアメリカ人、理想的なアメリカ人になろうとしてきたのが王道のスーパーマン像であったと思うのだが、今回の彼はそこを超えて良き「人」として生きていこうとしている。

スーパーマンが救助する人々の人種が多岐にわたっていたのも意図的な演出だろうし、レックス・ルーサーのAlien(よそ者)という罵倒に対してスーパーマンが自分は人間だというシーンに顕著なのだが、反差別の色の濃い作品だ。あのシーンは本当に感動的だった。

異星人であり超人であるスーパーマンとはあまりにも違い過ぎると悩んでいたロイス。彼女が重症のスーパーマンを届けにケント家を訪れたときに、両親と話をし、彼の子供のころの写真を見たり、部屋に貼ってあったマイティ・クラブジョイズのポスターを見ることで、スーパーマンが自分と同じ普通の青年クラーク・ケントであることを理解していくシーン。他者を理解することの大切さを描いた重要なところだと思う。

ロイスが僕もパンクロックが好きだとマイティ・クラブジョイズの名をあげたスーパーマンに、あれはパンクでなくてポップだと否定していたのだが、エンディングに流れるマイティ・クラブジョイズ名義の曲がロイスが否定するのもわかる絶妙にダサいポップパンクでなんかよかった。

育ての親であるケント夫妻の息子に向ける想い、それにこたえて正しく生きていこうとするクラーク/スーパーマン。

人は血統のようなもので何か決められるのではなく、生みの親より育ての親だし、環境で人はいかようにも変わるし、何をしたかで人は評価されなければならない。それは大切なことだと思う。

PR

タイトルとURLをコピーしました