死者520名、日本の航空史上最悪の事故現場となった高天原山中(御巣鷹山の尾根)は、40年経った今でも、その時の記憶を風化させることなく、明白にとどめている。現場を訪れた記者は何を思うのか、渾身のルポルタージュです!
史上最悪の航空事故その顛末とは
今から40年前、1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故。死者520人(生還4人)は、日本の民間航空史上最悪であり、2025年現在でも単独機としては世界史上最悪の航空事故です。

尾根を越えて一番低くなったあたりに、多くの墓標が集まっている。ここで遺体がまとめて発見されたのか。
乗員乗客524人を乗せた日航123便は、羽田空港離陸12分後に「ドーン」という異常音を発して、後部圧力隔壁が破損。その裂け目から、客室内の与圧空気が一気に漏れ出し、垂直尾翼を吹き飛ばすとともに機体をコントロールする4系統すべての油圧装置を破壊したのです。機体は操縦不能となり、上下左右に激しく揺さぶられながらの迷走飛行を32分間続けた末、午後6時56分に群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落しました。
事故原因は、製造元の米ボーイング社による機体尾部修理不良でした。

もうすっかり緑で覆われてわからなくなっていますが、U字溝と呼ばれる機体が抉った跡はこちらの方向。
日航機事故にまつわる最悪の陰謀論
事故当時、墜落現場に至る道はなく、沢や獣道など道なき道をたどって、警察や消防、マスコミなどはようやく現場に辿り着いたとのこと。
しかし今では慰霊登山に訪れる遺族のため、墜落地点の2km手前まで舗装された道路がつながり、比較的気楽に誰でも現場を訪れることが可能となっています。