コント55号が二人揃って番組にでているのを観たのは『ぴったし カン・カン』が最初であったが、二人がテレビ番組でコントを演じるということもその頃(私が『ぴったし カン・カン』を観ていた記憶がはっきりあるのが5歳くらいからだから1977年くらいだ)はなくなっていた。懐かしのテレビ番組みたいなスペシャル番組で初期のコントの一部を『シャボン玉ホリデー』『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』と並んで観る機会があるくらいで、彼らの新作コントを観るのは1984年の『たみちゃん』までそういう機会はなかったのである。あれもコント55号っぽいものではなかったが。
二人はコント55号というチームであるということは何となく知っているのだが、別にそう名乗っているわけでもなく、『ぴったし カン・カン』に二人で出ているのはちょっと不思議な気もしていた。
あと、藤村俊二を知ったのもこの番組が最初だ。もしかしたら既に何かの番組で観ていたのかもしれないが、彼を具体的に認識することができたのはこの番組が最初である。
当時の私にとって、「おひょいさん」は面白いおじさんだけど、この番組以外何をしているのかわからない人だった。のちに堺正章主演の『西遊記II』で三蔵法師の乗る白馬(実は竜の化身)・玉竜の人間体としておひょいさんが現れたときに「おひょいさんって役者さんだったんだ」とおどろいたものだ。
藤村をおひょいさんとよんだり、寺尾聡をぼっぺとよんだり、芸能人をプライベートのあだ名でよぶようなことをするのが好きになったのも、『ぴったし カン・カン』がきっかけである。
あと、この番組に藤田まことがゲストで出たときに「うどんは噛まずに呑むものだ」というような発言をしてうどんを実食し、当時『必殺シリーズ』の大ファンだった自分は、それ以来うどんを噛まずに呑むようにしていたのだが、大人になってからめんどくさくなって辞めている。とはいえ、未だに藤田の言葉が脳をよぎることがあって、その時はうどんを呑むようにしている。
そういう思い出深い番組なのだけど、久米自身に関しては好きとか嫌いとかもなく、どういう人なのだかということも考えたことはなかった。
ただ『ぴったし カン・カン』も『ザ・ベストテン』も、久米が降板した後の司会者を観ては「やっぱ久米宏じゃないと駄目だな」と思っており、場をコントロールする有能な男としては高く評価していた。司会が上手い、頭のよさそうな人というのが小学校低学年時代の自分にとっての久米宏の印象である。
